Page 1/4

CR-X delSol & 常夏系ウチナー女子

たとえばこんなカーライフ

ホンダCR-Xデルソル
 CR-Xは1983年にシビックの姉妹車バラードのスポーツバージョンとして初代が発売、1987年には2代目が発売されました。
 2代続いた軽量ボディと高性能エンジンによりCR-Xは走りの優れたFFライトウエイトスポーツとして高い人気を誇ります
 当然続くモデルもその流れを汲んだ、より高性能で硬派なモデルとして登場することを誰もが望んだのです。
 しかし1992年発売の3代目CR-Xは今まで無かったデルソルのサブネームを与えられ、電動で屋根をトランク内に格納してオープンカーにできるトランストップを最大の特徴として生まれ変わりました。
 狭いとはいえ、先代まであった後部座席も廃止され、2シーターでミッドシップっぽい形なのにFFという従来のオーナーからのコレジャナイ感を指摘され、約7万2千台を売り上げた2代目に対し1万5千台の販売台数で1998年に生産終了となりました。後継車種も無くCR-Xは市場から姿を消したのです。

 

 CR-Xは先代のVTEC搭載のSiRがあまりにも偉大すぎたのでしょう、デザインは今見ても悪くないですし、VTECエンジンはさらに熟成されパワーアップしています。
 特にあのメルセデスベンツさえ唸らせた。電動オープンの搭載は、オープンカーをより気軽に味わってもらおうとのホンダの意気込みです。

 私は今でも、颯爽とオープン(当然人の見ている所でドヤ顔で)にしたデルソルで海に山にとドライブしてみたいと思ってますよ。

 そんな太陽の光をいっぱいに浴びれるトランストップを持ち。エメラルドグリーンの沖縄の海を想像させるボディカラーのCR-Xデルソルにピッタリの女子は!
 
 ズバリ!

 常夏系ウチナー女子です!

 生まれも育ちも沖縄本島の彼女は生粋のウチナー女子。性格も遊びも派手な彼女はいわゆるパリピ(パーリーピーポー)です。東京での生活に憧れ、大学卒業と同時に上京を希望しましたが、両親は猛反対します、沖縄ではダメなのか?と、しかし、普段口うるさい おばあ は応援してくれ、両親の説得もしてくれました。ラッキーです!

 その後無事就職もして出発の朝、満面の笑顔で送り出してくれた おばあ に感謝です。
 就職したのは小さな会社でしたが、陽気な仲間たちと楽しく社会生活を送っていました。しかし順調と思われた会社は不渡を出し倒産してしまったのです。
 突然無職となってしまった彼女は、再び就職活動を行いますが、なかなか良い就職先が見つからりません。
 不幸は重なるもので、ある日 おばあ の訃報が伝えられます。サトウキビ畑での作業中に心臓発作だそうです。急いで帰省し、葬儀に参列しましたが、不思議と悲しみの感情は出てきませんでした。

 後継のいない おばあ のサトウキビ畑も他人に譲渡すると聞かされ、最後に見て来ようと席を立ちます。
 驚きました。納屋に行くと、上京の際処分を家族に依頼していたCR-Xデルソルが、綺麗に維持された状態で佇んでいるのです。聞けば、おばあ が処分を反対し車検や保険料の支払いを続けてくれていたのだそうです。

 畑への道すがら、彼女は子供の頃に おばあ に、ここにはお宝があって、おばあ はそれを守っていると聞かされていた事を思い出します。
 
 到着すると陽はすっかり傾いていましたが、彼女の目前には息を呑む程の大きな夕陽が、広大なサトウキビ畑を黄金色に染め上げていました。
 「こりゃ確かに宝物だわ…」彼女は夕陽をいつまでも見つめていました…。彼女の頬に一筋の涙が光ります。側に佇むCR-Xデルソルを処分せずにいてくれていた おばあ の気持ちが初めてわかった気がしたのです。
 
 
 
 
 

 デルソルとはスペイン語で「太陽の」を意味するそうです。沖縄の太陽に呼ばれて帰ってきた、生粋のウチナー女子の彼女に、ピッタリの車だと思いませんか?
 
 
 

 CR-Xは海外ではCRXの車名で販売されました、日本でもNSX同様ハイフン(-)の無い車名での登録を予定していましたが、すでに商標登録がされていた為、その車名が使えなかったそうです

19
23
572
2022-07-26 19:49

 CYBER


Comments (0)

No comments

Related works