サリナ子守唄3
まだ昼間ですが、公園にはうら寒い空気が満ち満ちています。
でも、緑も多くこんなに広々としたスペースがあったのはよかった。サリナはそう考えずにはいられませんでした。ともかくもおむつを換えなければ。
サ「…良かった。これじゃ足りなくても、タオルがあったのは…」
とりあえず急場は凌げる。無精して郵便局の景品のタオルをコートに突っ込んだままの父に、感謝するサリナでした。
赤ちゃんは男の子でした。萎縮した「可愛いの」は、父親が連れてゆく銭湯で見慣れています。すこし濡れているといっても大したことはないのは救いでした。サリナはおむつを脱がせ、タオルを赤ちゃんのお尻に巻きつけようとします。
老人「ダ~メよッ!それが手慣れたやり方と思わないで!」
いきなりしわがれた声に一喝され、驚く間もなく背後から伸びたしわ皺の指が、びっくりするほどの手際でタオルを巻きなおしていきます。
サ「あ、有難うござ…」ふり向こうとすると、サリナの背中に掌がポン、と弾けます。
老「いいから見てなさい。あんた、おむつは初めて?」
サ「は、はい」
老「でしょうね。赤ちゃんは着せ替え人形じゃないの。手際よく換えようとしても、そんなに乱暴にしちゃダメ。愛情ってものをよ~く噛みしめなさい。ほらできた」しわがれ声の持ち主は、そういって再びポン、とサリナの背を叩きました。
見れば、赤ちゃんは泣くのをやめ、気持ちがいいのか少し笑顔を見せています。
捨てる神あれば…などとコトワザを思わず脳裏に浮かべ、サリナは振り返りました。
サ「有難うございます。なんて…」
そこまで言って、彼女はことばを飲み込み、じっと後ろの人物を見つめるのでした。
黒づくめのドレスが包む痩身は、白く粉を吹いたようなホコリに覆われ、その上におしろいづくめの老いさらばえた痩せぎすの首が乗っかっています。重たいだろうと思われる半ば白髪の混じり込んだアフロヘアが、原色のリボンたちに彩られてその顔を包んでいました。
サ「……」
老「やっぱりね。声も出ない、か…でもまだ終わってないのでしょう。宿無しの夜鷹を怖がるヒマがあるのなら、あのビルの方のスーパーで買うべきものを買ってきなさい!」
サ「は…はいッ!」
すっかり血の気のひいた顔のサリナは、逃げるように彼を後にして公演から走り出ました。
サリナは口を押さえ、ただ足を早め走っていました。
サ「馬鹿!あんな親切な人を!あたし…あたし…サイテーだ!!」
老人のドレスのホコリの中には、明らかにシラミと思われる虫ケラが蠢いていました。そのカラダからは生ゴミのような甘ったるい香りがしました。ドレスのすみずみに茶色い、なにものか判らないシミが散らばってにじんでいました。
サ「あたしは汚い!あの人に気持ち悪い気分になってる!サイテーだ!」
涙を溢れるままに走るサリナを、すれ違う人が怪訝な顔で振り返りました。
サ「あたしはこんなこと考える女だったんだ!こんな街をイヤがってたのに、親切な人がいたのに!ごめん、ごめんなさい!」
品物を棚に詰めていたスーパーの店員は、涙でぐしゃぐしゃの顔になったサリナが走り込んできたのにキモを潰しました。
店員「お客…さま?どうなさいました?」
サリナ「…ごめんなさい!紙おむつをください!あと、ミルクとそれに使う哺乳瓶をください!急いで!」
気が動転しているわりには、滝の水が流れるように滔々とことばが溢れ出すことに、サリナは自分のことながら驚いていました。
大きな袋を両手に下げ、早足であれ落ち着きを取り戻したサリナは、公園への道を進んでいます。
その顔には安らぎがありました。
サ「…ごめんなさい、さっきの人。あたしは嬉しいんだ。人間を疑うなんてあたしのすることじゃない。赤ちゃんを落ち着けたらさっきとは違う交番に届けて、そうしてあの人とお茶でも一緒に飲むんだ。待っててね」
彼女の頬は紅潮していました。
サリナが公園に戻ると、泣き声が聞こえてきました。
その声をたどると、地面に無造作にさっきのおむつが投げ捨てられ、足跡が池のほとりまで続いていました。
不審に思い、視線を伸ばしたサリナは、老人をこわばる目でとらえました。
老人はなにかを掴み、しきりに頭を揺らしています。
老「すまないわね。でも綺麗きれいになったからもう大丈夫。いただきまーす」
見れば、残り少なくなった前歯を、老人は赤ちゃんの腕に食い込ませようとしていました。
彼の目は爛々と輝いています。
泣き声が、ふいに大きくなりました。
サリナは、しっかりと赤ちゃんを抱えて舗道を進んでいました。
何も言うことなく。
警察所の赤いあかりは、やがて見えてくることでしょう。
公園の地べたに、腹を抱えうずくまる異様な風体のフーテンが、やがて通行人の目にうつるようになるまで、そんなに時間はかからないでしょう。
どっちにしろ、もうサリナには関係のないことです。
つづく。
でも、緑も多くこんなに広々としたスペースがあったのはよかった。サリナはそう考えずにはいられませんでした。ともかくもおむつを換えなければ。
サ「…良かった。これじゃ足りなくても、タオルがあったのは…」
とりあえず急場は凌げる。無精して郵便局の景品のタオルをコートに突っ込んだままの父に、感謝するサリナでした。
赤ちゃんは男の子でした。萎縮した「可愛いの」は、父親が連れてゆく銭湯で見慣れています。すこし濡れているといっても大したことはないのは救いでした。サリナはおむつを脱がせ、タオルを赤ちゃんのお尻に巻きつけようとします。
老人「ダ~メよッ!それが手慣れたやり方と思わないで!」
いきなりしわがれた声に一喝され、驚く間もなく背後から伸びたしわ皺の指が、びっくりするほどの手際でタオルを巻きなおしていきます。
サ「あ、有難うござ…」ふり向こうとすると、サリナの背中に掌がポン、と弾けます。
老「いいから見てなさい。あんた、おむつは初めて?」
サ「は、はい」
老「でしょうね。赤ちゃんは着せ替え人形じゃないの。手際よく換えようとしても、そんなに乱暴にしちゃダメ。愛情ってものをよ~く噛みしめなさい。ほらできた」しわがれ声の持ち主は、そういって再びポン、とサリナの背を叩きました。
見れば、赤ちゃんは泣くのをやめ、気持ちがいいのか少し笑顔を見せています。
捨てる神あれば…などとコトワザを思わず脳裏に浮かべ、サリナは振り返りました。
サ「有難うございます。なんて…」
そこまで言って、彼女はことばを飲み込み、じっと後ろの人物を見つめるのでした。
黒づくめのドレスが包む痩身は、白く粉を吹いたようなホコリに覆われ、その上におしろいづくめの老いさらばえた痩せぎすの首が乗っかっています。重たいだろうと思われる半ば白髪の混じり込んだアフロヘアが、原色のリボンたちに彩られてその顔を包んでいました。
サ「……」
老「やっぱりね。声も出ない、か…でもまだ終わってないのでしょう。宿無しの夜鷹を怖がるヒマがあるのなら、あのビルの方のスーパーで買うべきものを買ってきなさい!」
サ「は…はいッ!」
すっかり血の気のひいた顔のサリナは、逃げるように彼を後にして公演から走り出ました。
サリナは口を押さえ、ただ足を早め走っていました。
サ「馬鹿!あんな親切な人を!あたし…あたし…サイテーだ!!」
老人のドレスのホコリの中には、明らかにシラミと思われる虫ケラが蠢いていました。そのカラダからは生ゴミのような甘ったるい香りがしました。ドレスのすみずみに茶色い、なにものか判らないシミが散らばってにじんでいました。
サ「あたしは汚い!あの人に気持ち悪い気分になってる!サイテーだ!」
涙を溢れるままに走るサリナを、すれ違う人が怪訝な顔で振り返りました。
サ「あたしはこんなこと考える女だったんだ!こんな街をイヤがってたのに、親切な人がいたのに!ごめん、ごめんなさい!」
品物を棚に詰めていたスーパーの店員は、涙でぐしゃぐしゃの顔になったサリナが走り込んできたのにキモを潰しました。
店員「お客…さま?どうなさいました?」
サリナ「…ごめんなさい!紙おむつをください!あと、ミルクとそれに使う哺乳瓶をください!急いで!」
気が動転しているわりには、滝の水が流れるように滔々とことばが溢れ出すことに、サリナは自分のことながら驚いていました。
大きな袋を両手に下げ、早足であれ落ち着きを取り戻したサリナは、公園への道を進んでいます。
その顔には安らぎがありました。
サ「…ごめんなさい、さっきの人。あたしは嬉しいんだ。人間を疑うなんてあたしのすることじゃない。赤ちゃんを落ち着けたらさっきとは違う交番に届けて、そうしてあの人とお茶でも一緒に飲むんだ。待っててね」
彼女の頬は紅潮していました。
サリナが公園に戻ると、泣き声が聞こえてきました。
その声をたどると、地面に無造作にさっきのおむつが投げ捨てられ、足跡が池のほとりまで続いていました。
不審に思い、視線を伸ばしたサリナは、老人をこわばる目でとらえました。
老人はなにかを掴み、しきりに頭を揺らしています。
老「すまないわね。でも綺麗きれいになったからもう大丈夫。いただきまーす」
見れば、残り少なくなった前歯を、老人は赤ちゃんの腕に食い込ませようとしていました。
彼の目は爛々と輝いています。
泣き声が、ふいに大きくなりました。
サリナは、しっかりと赤ちゃんを抱えて舗道を進んでいました。
何も言うことなく。
警察所の赤いあかりは、やがて見えてくることでしょう。
公園の地べたに、腹を抱えうずくまる異様な風体のフーテンが、やがて通行人の目にうつるようになるまで、そんなに時間はかからないでしょう。
どっちにしろ、もうサリナには関係のないことです。
つづく。
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2022-12-15 16:49
Comments (27)
世の中の縮図の様な話で人というのは本当に解らないものです。私達もそんな中で生きてる訳ですが、それよりもサリナさんの人間性の高さには頭が下がるばかりです。
View Repliesいろいろあったとはいえ、ここまでは順調にお世話できましたね
ここから先のサリナちゃんの活躍にも期待します
View Replies前回で安部公房か山上たつひこな不条理展開かと思いきや、ギリアムのバロンに出てきた死神みたいな老人。 なんにせよ不安ともやもやが実に良いです。
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