いかり、をつくる?
2dゲームは、不等式条件でつくられると、わたしは断言した。
だったら、どんなものでも実装できなければならないだろう。
調度、わたしがランボーとして試作したものがある。
それを参照してくださる方がいるから、その人たちに対して
ザ・ランボーでなく、イカリのスクラッチ版をつくったらと思った。
正直、もはやゲームづくりには関心はない。上に書いたとおり、
不等式条件以上の論理を、わたしは見つけないだろうからである。
しかし、やってみようというのだ。
”ゴッチ式対談”
前田氏と組長の対談を非常に楽しみに見た。
昨年、猪木さんがなくなり、猪木さんの周辺にいた人たちを
見たいからである。
ただ、高田ヒクソン戦の真実は?と思ったが、
田村氏など、新しい世代は、それほど
コンプレックスに思っていないかもしれない。
そもそも、オカダのようなプロレスと一線を引いてきたから、
現在のプロレスに失望することもないだろう。
かといってわたしは、総合格闘技に一生懸命なれない。
60キロくらいの人がやっているが、
かつてのプロレスとは、これまた異なって見える。
プロレスとは、ハンセンやホーガンが出てきて
わくわくするといったものでなかったか。
子供のころ好きだったものを失ったわけであり、
おそらく多くの人が着地点を失ったに違いないだろう。
”見る動画がなくなった”
高木豊氏は、猪木になれるかと書いたが、
内容によって、見たくない場合もある。
現在はもっぱら、野球クラシックであり、
総合チームがドラに負けたと話題だ。
ゲームづくりも、不等式条件によって
できないものはないかもしれない。
ツーディーの場合、座標は2つしかないから、
それぞれを不等式で管理すればいいだろう。
イカリをつくってみてはと、アドバルーンをあげてみたが、
関心のある人は多いかもしれない。
週末、少々体調不良だが、イカリ、を断片的に実装していいかもしれない。
ゲームエンジンといえるかどうかわからないが、スクラッチにてである。
おもしろい動画がないと、パソコンをとじてしまう。
そういった時代かもしれない。
バンテリンドーム
名古屋に大谷翔平が現れ、話題だ。
ドラゴンズは、実は落合竜以降
低迷しており、久しぶりに明るい話題だったのではなかろうか。
しかし、こんな話があり、イチローをドラゴンズにという
計画が実在したと読んだことがある。
イチローは愛知県出身で、当時のナゴヤドーム建設に合わせて、
ドラゴンズはイチロー獲得に動いたのだろうか。
結論からいえば、彼はシアトルで暮らし続けた。
金銭的に、ドラゴンズが支払えなかったかもしれない。
それはいい。
球場のデザインがイチロー中心にデザインされたとすると、
あとにも影響が残っている。バンテリンでは、
ホームランが出にくいが、イチローはそもそも
ホームラン打者じゃなかった。
打つにしても、レーザービームにしても、イチローの見せ場が見せやすいように
球場がデザインされたなら、ドラゴンズの選手には迷惑だったかもしれない。
大谷翔平が何本もスタンドインさせると、
大谷欲しいなと思ったドラファンは少なくなかっただろう。
峠をこえてからでいいから、バンテリンに来てくれればと思うが、
松坂のようにほとんど活躍しない場合もある。
野球は、そのあたりがむつかしい一面を持っているだろう。
ポスト猪木
猪木さんが昨年なくなられた。
プロレスが愛着障害の受け皿とすれば、
その中心を失ってしまったことになる。
大谷翔平がバンテリンに現れる。
背が高く、たよりがいあるが、
やはり、猪木に代わる人物ではないだろう。
ゲームをつくればと思ったが、不等式条件に気づいてしまい
あまり気が進まなくなった。いったい
何をしていけばいいだろうか。
愛着障害とは、ある時期に親子関係が構築できなかった
人をさすらしい。
例えば、夜間働く父親をもった人は、
父親との接点が薄いだろう。
そういった場合、欠落感がそこにあり、
大人になってからエネルギーが出ない、ということも
あるに違いない。だから、猪木さんは
会う人全員に、元気ですかと問いかけ、
元気を与えていったのである。
闘魂を継承した継承者はどれもこつぶで
猪木に匹敵する人はいない。馬場さんがなくなったときは
それほどだったが、今回は、目的意識を失ってしまうのではなかろうか。
いったい何が代替物となるだろう。
山田玲司は、猪木になれるか
愛されて育った場合と、そうでない場合で、
絵のうまさが違っているという話。
絵の悲しみとして、どこかに書いたが、
わたしもどちらかといえば、絵をかくのが好きで、
家庭での存在感が、絵をかくことだったかもしれない。
偶然的に、他の家族構成員が、絵が下手なら、
自分の個性として、絵があるわけだ。
しかし、中学校へ行けば、わたしより上手な人もいたし、
だんだんわたしがトップでなくなった。
こうなると、もっと自分に適したものをさがして、
絵をかく選択を捨てて、社会内で道を模索するものだ。
この話は、愛着障害にも関係し、わたしは反対に、
溺愛されて育ったケースを、考えたこともなかった。
つまり、あるときから、親がそれに気づき、
可愛い子には旅をさせよではないが、遠ざけるものの
時すでに遅しの場合、この人は、
不幸にも、社会内に親代わり、つまり
無条件で褒めを持っている人をさがしつづけてしまう。
鳴かず飛ばずとはこのことである。
山田玲司によれば、溺愛されなかった方が、
絵が上手になる。それはそのはずであり、
一般人はそう簡単に認めないからである。
身内で褒められ慣れていても、
他人間では、やはり簡単にいかないだろう。
そうだからこそ、喜怒哀楽がおもしろいわけだが、
やはり、世間で認められる一芸をみがく必要は
わたしはあると思う。
親ガチャといった言葉がはやっているが、
社会に出れば、それは関係ないのだから、
一芸をみがきなさいといいたい。
漫画家になりたければ、ヒット作のある漫画家にでもなれば
生活し、食べていけるのだから、おおいにめざしたらいいだろう。
マンガのかき方
マンガは、キャラクターをかけばいいだろう。
絵画みたいなことを考えてはダメだ。
キャラクターと割り切ってかく。
複数キャラクターがいれば、あとは勝手に
動いてくれる。 背景はパースを利用して
かけばいいだろう。
油絵について知りたい人もいるだろうか。
油絵の場合、ポーズが重要であり、
だったら、どんなものでも実装できなければならないだろう。
調度、わたしがランボーとして試作したものがある。
それを参照してくださる方がいるから、その人たちに対して
ザ・ランボーでなく、イカリのスクラッチ版をつくったらと思った。
正直、もはやゲームづくりには関心はない。上に書いたとおり、
不等式条件以上の論理を、わたしは見つけないだろうからである。
しかし、やってみようというのだ。
”ゴッチ式対談”
前田氏と組長の対談を非常に楽しみに見た。
昨年、猪木さんがなくなり、猪木さんの周辺にいた人たちを
見たいからである。
ただ、高田ヒクソン戦の真実は?と思ったが、
田村氏など、新しい世代は、それほど
コンプレックスに思っていないかもしれない。
そもそも、オカダのようなプロレスと一線を引いてきたから、
現在のプロレスに失望することもないだろう。
かといってわたしは、総合格闘技に一生懸命なれない。
60キロくらいの人がやっているが、
かつてのプロレスとは、これまた異なって見える。
プロレスとは、ハンセンやホーガンが出てきて
わくわくするといったものでなかったか。
子供のころ好きだったものを失ったわけであり、
おそらく多くの人が着地点を失ったに違いないだろう。
”見る動画がなくなった”
高木豊氏は、猪木になれるかと書いたが、
内容によって、見たくない場合もある。
現在はもっぱら、野球クラシックであり、
総合チームがドラに負けたと話題だ。
ゲームづくりも、不等式条件によって
できないものはないかもしれない。
ツーディーの場合、座標は2つしかないから、
それぞれを不等式で管理すればいいだろう。
イカリをつくってみてはと、アドバルーンをあげてみたが、
関心のある人は多いかもしれない。
週末、少々体調不良だが、イカリ、を断片的に実装していいかもしれない。
ゲームエンジンといえるかどうかわからないが、スクラッチにてである。
おもしろい動画がないと、パソコンをとじてしまう。
そういった時代かもしれない。
バンテリンドーム
名古屋に大谷翔平が現れ、話題だ。
ドラゴンズは、実は落合竜以降
低迷しており、久しぶりに明るい話題だったのではなかろうか。
しかし、こんな話があり、イチローをドラゴンズにという
計画が実在したと読んだことがある。
イチローは愛知県出身で、当時のナゴヤドーム建設に合わせて、
ドラゴンズはイチロー獲得に動いたのだろうか。
結論からいえば、彼はシアトルで暮らし続けた。
金銭的に、ドラゴンズが支払えなかったかもしれない。
それはいい。
球場のデザインがイチロー中心にデザインされたとすると、
あとにも影響が残っている。バンテリンでは、
ホームランが出にくいが、イチローはそもそも
ホームラン打者じゃなかった。
打つにしても、レーザービームにしても、イチローの見せ場が見せやすいように
球場がデザインされたなら、ドラゴンズの選手には迷惑だったかもしれない。
大谷翔平が何本もスタンドインさせると、
大谷欲しいなと思ったドラファンは少なくなかっただろう。
峠をこえてからでいいから、バンテリンに来てくれればと思うが、
松坂のようにほとんど活躍しない場合もある。
野球は、そのあたりがむつかしい一面を持っているだろう。
ポスト猪木
猪木さんが昨年なくなられた。
プロレスが愛着障害の受け皿とすれば、
その中心を失ってしまったことになる。
大谷翔平がバンテリンに現れる。
背が高く、たよりがいあるが、
やはり、猪木に代わる人物ではないだろう。
ゲームをつくればと思ったが、不等式条件に気づいてしまい
あまり気が進まなくなった。いったい
何をしていけばいいだろうか。
愛着障害とは、ある時期に親子関係が構築できなかった
人をさすらしい。
例えば、夜間働く父親をもった人は、
父親との接点が薄いだろう。
そういった場合、欠落感がそこにあり、
大人になってからエネルギーが出ない、ということも
あるに違いない。だから、猪木さんは
会う人全員に、元気ですかと問いかけ、
元気を与えていったのである。
闘魂を継承した継承者はどれもこつぶで
猪木に匹敵する人はいない。馬場さんがなくなったときは
それほどだったが、今回は、目的意識を失ってしまうのではなかろうか。
いったい何が代替物となるだろう。
山田玲司は、猪木になれるか
愛されて育った場合と、そうでない場合で、
絵のうまさが違っているという話。
絵の悲しみとして、どこかに書いたが、
わたしもどちらかといえば、絵をかくのが好きで、
家庭での存在感が、絵をかくことだったかもしれない。
偶然的に、他の家族構成員が、絵が下手なら、
自分の個性として、絵があるわけだ。
しかし、中学校へ行けば、わたしより上手な人もいたし、
だんだんわたしがトップでなくなった。
こうなると、もっと自分に適したものをさがして、
絵をかく選択を捨てて、社会内で道を模索するものだ。
この話は、愛着障害にも関係し、わたしは反対に、
溺愛されて育ったケースを、考えたこともなかった。
つまり、あるときから、親がそれに気づき、
可愛い子には旅をさせよではないが、遠ざけるものの
時すでに遅しの場合、この人は、
不幸にも、社会内に親代わり、つまり
無条件で褒めを持っている人をさがしつづけてしまう。
鳴かず飛ばずとはこのことである。
山田玲司によれば、溺愛されなかった方が、
絵が上手になる。それはそのはずであり、
一般人はそう簡単に認めないからである。
身内で褒められ慣れていても、
他人間では、やはり簡単にいかないだろう。
そうだからこそ、喜怒哀楽がおもしろいわけだが、
やはり、世間で認められる一芸をみがく必要は
わたしはあると思う。
親ガチャといった言葉がはやっているが、
社会に出れば、それは関係ないのだから、
一芸をみがきなさいといいたい。
漫画家になりたければ、ヒット作のある漫画家にでもなれば
生活し、食べていけるのだから、おおいにめざしたらいいだろう。
マンガのかき方
マンガは、キャラクターをかけばいいだろう。
絵画みたいなことを考えてはダメだ。
キャラクターと割り切ってかく。
複数キャラクターがいれば、あとは勝手に
動いてくれる。 背景はパースを利用して
かけばいいだろう。
油絵について知りたい人もいるだろうか。
油絵の場合、ポーズが重要であり、
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2023-03-03 17:53
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