春秋時代の西安・洛陽近辺の河川地図 ~『中国歴史地図集』より
譚其驤編集『中国歴史地図集』の「春秋」「秦、晋」より、主要河川のみを抽出した地図。
いい加減な話で恐縮ですが、
同書を大雑把に見た限り、この界隈の流域は、少なくとも唐代辺りまでは、
それ程変わっていないように見受けます。
ただ、(西安と洛陽の中間点の)三門峡市の北を流れる凍川が、そのすぐ西を流れる黄河といつの時代に合流したのかは、
今のところ浅学にして分かりませんで恐縮です。
また、上記の地図は、
自分のサイトの説明用として色々書き込むために加工したものですが、
もし何等かの用途で御利用の際には、恐れ入りますが、自己責任で御願いします。
念の為。
最後に、主題に対して下の絵の必要性は、まるでありません。
その意味では、詐欺同然のタグ付けですね。
—描いておいてアレですが。
【追記】誤記あり!
図中の縮尺は21kmから41kmに訂正します。
オリジナルのものに圧縮を掛けた後の確認作業を怠り、大変恐縮です。
大体の目安として、以下。
洛陽・西安間の直線距離が約326km。
地図中に記入はありませんが、その中間の黄河沿いの三門峡市から、黄河・渭水の合流点(黄河がL字に曲がる部分)―潼関(河曲)までが約90km。
いい加減な話で恐縮ですが、
同書を大雑把に見た限り、この界隈の流域は、少なくとも唐代辺りまでは、
それ程変わっていないように見受けます。
ただ、(西安と洛陽の中間点の)三門峡市の北を流れる凍川が、そのすぐ西を流れる黄河といつの時代に合流したのかは、
今のところ浅学にして分かりませんで恐縮です。
また、上記の地図は、
自分のサイトの説明用として色々書き込むために加工したものですが、
もし何等かの用途で御利用の際には、恐れ入りますが、自己責任で御願いします。
念の為。
最後に、主題に対して下の絵の必要性は、まるでありません。
その意味では、詐欺同然のタグ付けですね。
—描いておいてアレですが。
【追記】誤記あり!
図中の縮尺は21kmから41kmに訂正します。
オリジナルのものに圧縮を掛けた後の確認作業を怠り、大変恐縮です。
大体の目安として、以下。
洛陽・西安間の直線距離が約326km。
地図中に記入はありませんが、その中間の黄河沿いの三門峡市から、黄河・渭水の合流点(黄河がL字に曲がる部分)―潼関(河曲)までが約90km。
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724
2023-06-22 23:05
Comments (1)
>エルピス28号様 まさにその通りだと思います。調べる側としては、変遷する部分が魅力でもあり、もしくは悩みの種でもあり。