愛のあいさつ(SS付き)

夏休みが明け、浮き足立った空気の抜けない、とある放課後。照り付ける残暑の陽射しも、校舎の中庭、草花が繁り樹々が大きく葉を広げるこの一角では、柔らかな木漏れ日に変わる。

その小さな舞台に流れるのは、有名なバイオリン楽曲の一節。伸びやかな旋律が四分の二拍子を刻み、風を孕んで柔らかく空へ昇っていく。

曲を紡ぐのは、一人の少女。高校の制服に身を包み、少し茶色がかった髪を邪魔にならぬよう、肩の少し上に括っている。手にしたバイオリンへと真剣な眼差しを送りながらも、唇は柔らかな弧を描いていた。

木漏れ日をスポットライトに、バイオリンの弓を優しく、時に強く上下させる。その度に弾いた弦がきらきらと光の粒を散らす。少しのぎこちなさが残るその指遣いには、青葉のように若々しさが宿る。

一人懸命に楽器を操る少女に対して、聴くのもまた一人。彼女の所属する管弦楽部の顧問でもある音楽教師の男。四角い眼鏡のレンズ越しに少女へと送る視線は、旋律を聴き零すまいとする真剣なもの。まだ若手と言ってもいい年齢だが、首元まで留められたYシャツのボタンと、結んだ口元からは浮ついた印象は受けない。
彼だけがこの小さな演奏会の観客だった。

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そよ風に揺れる葉擦れのざわめきを万雷の拍手として、時間にして凡そ3分程の演奏会は終幕する。

男が何時の間にか閉じていた瞼を開くと、ほんの数歩分離れた場所で、演奏会の主役は余韻を持たせるようにゆっくりと楽器を下ろし、しかしその大きな目を得意気に輝かせて尋ねてきた。
「どうでしたっ!?」

先程までの静謐さえ感じる様子から一転、天真爛漫に尋ねてくる教え子の様子に苦笑しながら、男は顧問教師として、この度の演奏会の批評を始める。
「いいんじゃないか。強弱の付け方に改善の余地はあるが、音程が安定していて、心地良く聴いていられた」

うんうん、満足気に少女は頷くが。
「夏休み中、たくさん練習したからね!それでそれで?」
まだ褒められ足りないらしく、他にも感想を期待するような眼差しを自らの教師へと向ける。

綺麗に弾き切ったとは言え、演奏技術はまだ未熟。注意すべき点はもう何個か思い当たったが、そこは男も多感な高校生達を相手にする一教師。空気を読んで、褒め言葉の語彙を求めて先程の演奏会の光景を思い返した。

「…姿勢が綺麗だったな」
「き、綺麗っ!?………ほ、他には?」
一部分に妙に反応する少女に内心首を傾げながらも、男は眼鏡のブリッジを指で押し上げつつ、宙に目を彷徨わせて脳内映像の再生を続ける。

「…上手く感情が乗ってたな」
「か、感情がっ!!」
男が視線を前に戻すと、教え子は何故かバイオリンと弓を握った両の手で、器用に顔を覆っていた。心なしか赤らんだその手も少し震えているようにも見え、男は慌てて声を掛ける。

「お、おいどうした!?」
「…な、なんでもありまひぇん」
「ちょっと顔も赤くないか?そうだよな、外で集中してたもんな、熱中症か!?」
「…ち、ちが」

そうなった原因が分からず慌てる教師の声と、先程までの勢いは何処へやら、すっかりと小さくなった教え子の声が中庭に響く。
幕間を経て始まった小さな恋愛劇、開幕の合図はやはり、そよ風に揺れる葉擦れのざわめき。

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2023-08-20 12:24

 H@L


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