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コンピューターグラフック理論

試行錯誤を諦める理論です。織り込むことはできたのですが、これを玩び、偶然的な画像を乱数を用いて得ることが出来れば、これは面白いものが来るかなといろいろと試して見た結果得た小さな理論というものです。なぜ、諦めざるを得ないのかの理論です。当然本人の能力の範囲での問題で、誰にでも応用できる理論ではありません。さて、本題に入りましょう。まずは、開始・終止地点他の設定が多過ぎて、そのうちの一つを何とかしても、殆ど意味のない無残な結果しか得ることができないのです。やる意味がないことを早々に認識できました。それでも多少はなんとかしようと試行錯誤はしたのですが、殆ど織り図にはならず、作業の結果も予想することができず、落書き以下のものばかり。それだけ、つまり理論的に云えば、織るということは、極めて数学的で、糸の相互間の関係は固く、多少の操作でも、織りを失い、また設定点が多過ぎて、その意味が失われると、単なる線の羅列的変動以外の何物も得ることができないのです。それが面白いかということにはなりますが、重なりあえば、模様は生じるものの、つまならいし、位置の制御を失うので、制御的な感覚が生じないのです。糸の間隔を同じにして、やっと、この図にはなりましたが、確かに横糸は繋がって、縦糸に隙間が生じ、織りが残るという結果ですが、これとて、相当の試行錯誤を強いられる代物の割りには、何の面白みもないでしょう。技術的数学的設定の技ではありますが、なんとも。する必要も感じませんし、興味も、次の展開も全くないからです。斯くして、数学的に、かなりの設定点と、織りを決めれば、殆ど固定的な、頑丈な、解けない、数学解しか得られないという理論に行きつくものです。まるで王様と宗教的権威の合体した封建時代の社会構造、土地とその生産物にのみ依存する制度の固く閉ざされて、土地争い、穀物争いがあっても、殆ど修正されることがない状況を表しています。多少の文化的、精神的変化があっても、大勢に破綻はなく、また、変化と言えば、狼藉と強権と神の御沙汰と魔女狩りに終始するばかり。なぜ、それが資本主義社会へと、大きな変化を、フランス革命やら、植民地やら、産業革命やらが生じたのか、それこそ、地点を決めて、直線的な長短を縛り、重なり合いを厳格に維持することとは全く違う座標、立体、時空、産業へと、織り図から、その制御条件も、軌跡も、ブログラムも解放されたからこそであり、労働の意味が全く変わったことにあると理論的把握が展開したところです。やればやっただけとか。

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2023-09-06 10:31

 mizz


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