2013JDM Import No.290: Espace
エスパスは、ルノーが製造・販売している自動車である。
ヨーロッパ初のミニバン(MPV)として1984年に発売され、その斬新なコンセプトとデザインから瞬く間にベストセラーとなった。
誕生の経緯は1967年、クライスラーがアメリカ外へ初めて進出し、英ルーツ・グループおよび仏シムカを買収して欧州クライスラーを創設。イギリスではクライスラーブランドに変更したが、フランスではシムカブランドを継続した。エスパスの元となる設計はこの欧州クライスラー英国デザインセンターのデザイナー、ファーガス・ポロックが最初に手掛けた。
後にシムカの提携先であるマトラが開発に参画し、プロジェクトはP-18と呼ばれ、フランス市場で大成功した小型車シムカ・1000のピックアップトラックに架装した多目的車(英国ではステーションワゴンに分類)、マトラ・シムカ・ランチョのコンセプトを拡大し、同じシムカ・1100のシャーシを使用したタルボ・ソラーラをベースとした車両としてタルボブランドでの販売が想定されていた。初期のプロトタイプはシムカの部品を多数流用しており、そのためグリルはシムカ・1307に似ていた。
1978年末にはクライスラーのアメリカでの経営悪化のため、フォード・モーターから招聘されたリー・アイアコッカによる経営刷新の一部として、欧州クライスラーはPSA・プジョーシトロエンへ売却されることとなった。売却額は負債込みでわずか1ドルとも言われている。しかし、PSA側はP-18の生産にはさらに投資が必要で、リスクが大きいとして開発の中止を決定した。
その後、P-18のデザインはマトラが所有することとなり、ライバル会社であるルノーに提案を行った。ルノーは、マトラのムレーナをフエゴおよびアルピーヌ・A310の競合車種とみなしていたため、取引に応じた。マトラはムレーナの生産を中止し、生産ラインを組み替えてP-18の生産を開始。以上のような経緯を経て1984年、ヨーロッパ初のモノスペース・カーとしてデビューを飾った。内外装ともに新しいコンセプトを提案したエスパスは、世界中の自動車メーカーに影響を与えることとなった。
マトラが開発と生産に協力したのは3代目までであり、4代目以降はルノー自社での開発および生産となった。マトラは2003年、ピニンファリーナに技術を売却して自動車生産から撤退し、航空宇宙産業に集中する。なお、PSAはエスパスの登場から11年後にプジョー・806/シトロエン・エヴァシオン(ユーロバン)でミニバンに初参入することになる。
5代目では市場の動向を鑑み、クロスオーバーSUVを意識したような全高の低いミニバンへと大幅転換され、6代目ではそれまで販売されていたコレオスを吸収統合して完全なるクロスオーバーSUVへと進化した。
日本への正規輸入は全世代において一度も行われていないが、並行輸入で上陸した個体がわずかに存在する。
ヨーロッパ初のミニバン(MPV)として1984年に発売され、その斬新なコンセプトとデザインから瞬く間にベストセラーとなった。
誕生の経緯は1967年、クライスラーがアメリカ外へ初めて進出し、英ルーツ・グループおよび仏シムカを買収して欧州クライスラーを創設。イギリスではクライスラーブランドに変更したが、フランスではシムカブランドを継続した。エスパスの元となる設計はこの欧州クライスラー英国デザインセンターのデザイナー、ファーガス・ポロックが最初に手掛けた。
後にシムカの提携先であるマトラが開発に参画し、プロジェクトはP-18と呼ばれ、フランス市場で大成功した小型車シムカ・1000のピックアップトラックに架装した多目的車(英国ではステーションワゴンに分類)、マトラ・シムカ・ランチョのコンセプトを拡大し、同じシムカ・1100のシャーシを使用したタルボ・ソラーラをベースとした車両としてタルボブランドでの販売が想定されていた。初期のプロトタイプはシムカの部品を多数流用しており、そのためグリルはシムカ・1307に似ていた。
1978年末にはクライスラーのアメリカでの経営悪化のため、フォード・モーターから招聘されたリー・アイアコッカによる経営刷新の一部として、欧州クライスラーはPSA・プジョーシトロエンへ売却されることとなった。売却額は負債込みでわずか1ドルとも言われている。しかし、PSA側はP-18の生産にはさらに投資が必要で、リスクが大きいとして開発の中止を決定した。
その後、P-18のデザインはマトラが所有することとなり、ライバル会社であるルノーに提案を行った。ルノーは、マトラのムレーナをフエゴおよびアルピーヌ・A310の競合車種とみなしていたため、取引に応じた。マトラはムレーナの生産を中止し、生産ラインを組み替えてP-18の生産を開始。以上のような経緯を経て1984年、ヨーロッパ初のモノスペース・カーとしてデビューを飾った。内外装ともに新しいコンセプトを提案したエスパスは、世界中の自動車メーカーに影響を与えることとなった。
マトラが開発と生産に協力したのは3代目までであり、4代目以降はルノー自社での開発および生産となった。マトラは2003年、ピニンファリーナに技術を売却して自動車生産から撤退し、航空宇宙産業に集中する。なお、PSAはエスパスの登場から11年後にプジョー・806/シトロエン・エヴァシオン(ユーロバン)でミニバンに初参入することになる。
5代目では市場の動向を鑑み、クロスオーバーSUVを意識したような全高の低いミニバンへと大幅転換され、6代目ではそれまで販売されていたコレオスを吸収統合して完全なるクロスオーバーSUVへと進化した。
日本への正規輸入は全世代において一度も行われていないが、並行輸入で上陸した個体がわずかに存在する。
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2024-01-15 18:23
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