【英霊の魂】 特別輸送船・ぼごだ丸と海防艦・占守
GW期間中に、長崎県佐世保市に旅行に行ってきました。
お目当ての針尾通信所を見学した翌日、道すがらに『浦頭引揚記念館』に立ち寄り、この佐世保の浦頭(うらがしら)が、主に南方からの引き揚げの拠点であったことを知りました。
あの大東亜戦争を生き残った船腹たちのほとんどは戦後・引揚者のための輸送任務に当たりました。
海防艦・占守も輸送任務に従事、そして、その引揚船達の一隅に『ぼごだ丸』もいました。
排水量1280トン、全長は推定で100m程度、丁度 占守型海防艦と同じサイズだったと思われます。
この船は日本で作られた船ではありません。
もともとは『Bogoda』といいドイツの船でした。それをドイツ敗戦の折に諸説在りますが1945年5月終戦間近に大連で鹵獲。
名前を『ぼごだ丸』に改名し日本の戦役に従事することとなりました。
どうやら、ドイツでも幸運船といわれたようで、アメリカ連合国軍の傘下に入ってからも順調に役務をこなしたようです。
そんな彼女の引揚輸送最後の任務は、フィリピンに集められた日本の人々の遺体と遺骨を日本まで運ぶという任務でした。
遺体は米軍の弾薬箱に、1箱あたり役8体”詰め込まれた”そうです。
遺体は4518体分、遺骨は308体分。計4900の無言の彼らを連れ彼女は彼らに日本の地へと送り届けました。
遺体は1か月かけて今のハウステンボス付近で荼毘に付され、遺族に手渡されましたが、引き取り手のない遺骨については近隣の釜墓地に安置されました。
戦争はあってはならないことです。
しかし起きてしまった戦争で命を賭した人々……
先人達のおかげで今があることだけは確かですね。
さて、この帰還した亡骸に関するエピソードはどうやらけっこうあるようで、当時から火の玉が出たとか、ハウステンボスでもその時の幽霊が出るだとか、ネットにはそんな話もありましたね。
ハウステンボスは元・日本軍の引揚援護局というところがあったそうで引揚者はいったんここに2~3泊逗留し、故郷へと帰っていったそうです。しかしながら、当時の劣悪な生活環境のため、栄誉失調・伝染病などが発生数千の人々がここで命の灯火を潰えさせたそうで、そういうゆかりのある土地ですから、そんな話も噂になるのだと思います。
さて、さらにこれには尾ひれがつきまとい、どうやら彼ら英霊に同情したのか、それとも鎮魂のためなのか、上はセーラ服で下はモンペの少女が岸部にたって美声で『海ゆかば』を歌ったという証言があるのだそうです。
『海ゆかば』……は、第二国家ともいわれた戦中には誰しもが歌うこととなった歌なのですが、その一節に『海行かば 水漬く屍』というフレーズがあります。兵になって『海に行ったなら 海を漂う屍になってもいい』という献身の精神なのだそうです。
戦争のことはここで話すと長くなりますが、国を護るために戦うこととなれば國民は戦うことは当然ではないかと思います。
ちょっと納得できない部分もあるけれど。しかしながら、勝てない戦争をしかけ、さらに上層部が失敗を責任をとらずに、國民の命を無碍にするのは、やっぱりいやだなぁと思います。
ということで、ぼこだ丸さんという存在を知ったことは大変貴重な経験でした。
■酒井童人の艦これシリーズ
https://www.pixiv.net/users/49914/artworks/%E8%89%A6%E3%81%93%E3%82%8C
お目当ての針尾通信所を見学した翌日、道すがらに『浦頭引揚記念館』に立ち寄り、この佐世保の浦頭(うらがしら)が、主に南方からの引き揚げの拠点であったことを知りました。
あの大東亜戦争を生き残った船腹たちのほとんどは戦後・引揚者のための輸送任務に当たりました。
海防艦・占守も輸送任務に従事、そして、その引揚船達の一隅に『ぼごだ丸』もいました。
排水量1280トン、全長は推定で100m程度、丁度 占守型海防艦と同じサイズだったと思われます。
この船は日本で作られた船ではありません。
もともとは『Bogoda』といいドイツの船でした。それをドイツ敗戦の折に諸説在りますが1945年5月終戦間近に大連で鹵獲。
名前を『ぼごだ丸』に改名し日本の戦役に従事することとなりました。
どうやら、ドイツでも幸運船といわれたようで、アメリカ連合国軍の傘下に入ってからも順調に役務をこなしたようです。
そんな彼女の引揚輸送最後の任務は、フィリピンに集められた日本の人々の遺体と遺骨を日本まで運ぶという任務でした。
遺体は米軍の弾薬箱に、1箱あたり役8体”詰め込まれた”そうです。
遺体は4518体分、遺骨は308体分。計4900の無言の彼らを連れ彼女は彼らに日本の地へと送り届けました。
遺体は1か月かけて今のハウステンボス付近で荼毘に付され、遺族に手渡されましたが、引き取り手のない遺骨については近隣の釜墓地に安置されました。
戦争はあってはならないことです。
しかし起きてしまった戦争で命を賭した人々……
先人達のおかげで今があることだけは確かですね。
さて、この帰還した亡骸に関するエピソードはどうやらけっこうあるようで、当時から火の玉が出たとか、ハウステンボスでもその時の幽霊が出るだとか、ネットにはそんな話もありましたね。
ハウステンボスは元・日本軍の引揚援護局というところがあったそうで引揚者はいったんここに2~3泊逗留し、故郷へと帰っていったそうです。しかしながら、当時の劣悪な生活環境のため、栄誉失調・伝染病などが発生数千の人々がここで命の灯火を潰えさせたそうで、そういうゆかりのある土地ですから、そんな話も噂になるのだと思います。
さて、さらにこれには尾ひれがつきまとい、どうやら彼ら英霊に同情したのか、それとも鎮魂のためなのか、上はセーラ服で下はモンペの少女が岸部にたって美声で『海ゆかば』を歌ったという証言があるのだそうです。
『海ゆかば』……は、第二国家ともいわれた戦中には誰しもが歌うこととなった歌なのですが、その一節に『海行かば 水漬く屍』というフレーズがあります。兵になって『海に行ったなら 海を漂う屍になってもいい』という献身の精神なのだそうです。
戦争のことはここで話すと長くなりますが、国を護るために戦うこととなれば國民は戦うことは当然ではないかと思います。
ちょっと納得できない部分もあるけれど。しかしながら、勝てない戦争をしかけ、さらに上層部が失敗を責任をとらずに、國民の命を無碍にするのは、やっぱりいやだなぁと思います。
ということで、ぼこだ丸さんという存在を知ったことは大変貴重な経験でした。
■酒井童人の艦これシリーズ
https://www.pixiv.net/users/49914/artworks/%E8%89%A6%E3%81%93%E3%82%8C
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2024-05-04 21:34
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