【常夜島】夜半【テキスト】
白紙のノエン、だらだら常夜島飲兵衛日記。
以下書き起こし
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彼女はほとんどの時間を村の外で過ごしている。
浜で魚を突き、捌いて貪るか、さもなければ木の上で寝ている。
ただ、酒があるというので、たまに村に魚を持ち込んで、物々交換をすることもある。
森の傍に住む物怖じしない住民のいくらかは、彼女とささやかに言葉を交わした。
「この地では誰もが己の役割を果たすことになる。あなたは何者?」
「狩人だ」
ノエンはそう答えた。
それ以来、彼女は、
木陰歩きの護衛であったりとか、
追い漁の手伝いであったりとか、
寡黙な荒事屋であれば、誰でもできる仕事を引き受けて暮らしている。
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狩人ノエンは獲物をほとんど殺さない。
晄石を求める住民のために鹿狩りに出たときには、角ばかりを一抱えも持ち帰ってきた。
「こうすると、角が掛かって暴れるようになる。それで先端を捻れば、角だけを圧し折れる」
網ごとく複雑に絡み合った木枝を振って、さもありなんと言うのである。
特別、頼まれれば仕留めてくる日もあるが、
己の食い扶持にはさほど興味もなく、日がな酒ばかり飲んで暮らしている。
「あの不殺は信念というよりかは、ある種の怠惰なのかもしれない」
ある狩人はそう言った。
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「竜を見たことがある、ノエン?」
誰かが竜仕えの一族の話をしていたとき、炉端で魚を焼いていた彼女に声をかけた。
「竜とは?」
「巨大で、蜥蜴や蛇のように鱗があって、賢く、凄まじい吐息がある……」
「”灰の王”のような?」
それから、彼女は巨大で、鱗に覆われた身体を持ち、賢く、凄まじい吐息をもつ強靭な王の話をした。
それは灰で覆われた”森”に暮らしており、異形の森の狂気に耐えうるものだけが殺すことができる。
「異形の森はこの島にある木立の集まりとは違う。人の王が玉座を城で覆うように、異形の王の玉座は森に覆われる」
ノエンは彼女がその手で”灰の王”を斃した死闘を、ごく単純に語り明かした。
この日、炉端にいた僅か数人だけが、この古い英雄譚を聴いたのである。
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「ノエン。殺生を控えているそうだな」
統治者クドゥリ、彼が竜仕えであったことがまことしやかに囁かれるようになったのは近頃のことであった。
「あれは人ではないからな」
神出鬼没の首魁を前にして、ノエンは淡々と応じる。
クドゥリは眉を顰め、次言を飲み込んだ。
意図を察したからだ。
”人”ならざるもの、魔王が敬愛に値しない者に、”春”は訪れない。
彼女の星は瞑目しない。
ただ、只人にまなざしを向けないだけだ。
「クドゥリ。お前は殺さないのか?」
竜を。
それが、汝の敬愛に値するなれば……
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おそろしいことに、それは狂気でも、運命でもない。
それはただ、生まれながらに純白なのである。
以下書き起こし
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彼女はほとんどの時間を村の外で過ごしている。
浜で魚を突き、捌いて貪るか、さもなければ木の上で寝ている。
ただ、酒があるというので、たまに村に魚を持ち込んで、物々交換をすることもある。
森の傍に住む物怖じしない住民のいくらかは、彼女とささやかに言葉を交わした。
「この地では誰もが己の役割を果たすことになる。あなたは何者?」
「狩人だ」
ノエンはそう答えた。
それ以来、彼女は、
木陰歩きの護衛であったりとか、
追い漁の手伝いであったりとか、
寡黙な荒事屋であれば、誰でもできる仕事を引き受けて暮らしている。
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狩人ノエンは獲物をほとんど殺さない。
晄石を求める住民のために鹿狩りに出たときには、角ばかりを一抱えも持ち帰ってきた。
「こうすると、角が掛かって暴れるようになる。それで先端を捻れば、角だけを圧し折れる」
網ごとく複雑に絡み合った木枝を振って、さもありなんと言うのである。
特別、頼まれれば仕留めてくる日もあるが、
己の食い扶持にはさほど興味もなく、日がな酒ばかり飲んで暮らしている。
「あの不殺は信念というよりかは、ある種の怠惰なのかもしれない」
ある狩人はそう言った。
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「竜を見たことがある、ノエン?」
誰かが竜仕えの一族の話をしていたとき、炉端で魚を焼いていた彼女に声をかけた。
「竜とは?」
「巨大で、蜥蜴や蛇のように鱗があって、賢く、凄まじい吐息がある……」
「”灰の王”のような?」
それから、彼女は巨大で、鱗に覆われた身体を持ち、賢く、凄まじい吐息をもつ強靭な王の話をした。
それは灰で覆われた”森”に暮らしており、異形の森の狂気に耐えうるものだけが殺すことができる。
「異形の森はこの島にある木立の集まりとは違う。人の王が玉座を城で覆うように、異形の王の玉座は森に覆われる」
ノエンは彼女がその手で”灰の王”を斃した死闘を、ごく単純に語り明かした。
この日、炉端にいた僅か数人だけが、この古い英雄譚を聴いたのである。
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「ノエン。殺生を控えているそうだな」
統治者クドゥリ、彼が竜仕えであったことがまことしやかに囁かれるようになったのは近頃のことであった。
「あれは人ではないからな」
神出鬼没の首魁を前にして、ノエンは淡々と応じる。
クドゥリは眉を顰め、次言を飲み込んだ。
意図を察したからだ。
”人”ならざるもの、魔王が敬愛に値しない者に、”春”は訪れない。
彼女の星は瞑目しない。
ただ、只人にまなざしを向けないだけだ。
「クドゥリ。お前は殺さないのか?」
竜を。
それが、汝の敬愛に値するなれば……
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おそろしいことに、それは狂気でも、運命でもない。
それはただ、生まれながらに純白なのである。
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2024-10-28 02:13
Comments (1)
クドゥリ「星へ還す、眠らせる。例える言葉を幾つも探したが、何れも当て嵌まらず。そうか、敬愛か。これまでで最も腑に落ちる響きだ。次に動機を問われる機会があれば倣わせてもらおう。──試みて、叶わなかった。其方の〝剣〟に代わる力が、私にはなかったがゆえに」