明治夫婦まとめ(⚠️微腐)
明治夫婦は良いぞ!(プレゼン始めます。長いのでお時間ある方だけ🙏)
明治政府の父・大久保さんと、明治政府の母・木戸さん。同時代の方々が「維新の父母というべき」「性の合わない夫婦のよう」などと仰っていて、もはや公認でしてね…
受験科目の日本史Bで調べているうちにハマり、大学生になった今となってはいつの間にか全身まで沼に浸かっております。
以下、魅力を…。思い浮かんだことをとりあえず書きましたが、整理すればまだまだあります(笑)
①破局寸前の対立期も手を取り合う協力期も、お互い根底に尊敬はある。明治3、4年は特に行動を共にして、大久保さんが木戸さんへ漢詩を贈ったり、会談後にサシで呑んだり、温泉に入ったり、川船や馬車に同乗したり、同じ宿に泊まったりしている。
2人は素敵で大人で面白くてかっこいい!
②木戸さんの離婚届(辞表)&家出(政府辞職)と、連れ戻そうとする大久保さんの外面クール内面熱烈な追っかけによって成り立つ。なんなら大久保さんも時に抗議の辞表を出して、木戸さん派の力を牽制する。
不仲の時期はお互い辞意をちらつかせるため、上(岩倉公や三条公)から下(伊藤さんたち)までが2人の仲を取り持つ。
③普段冷静な大久保さんだけど、木戸さんから(政治面での)不満とそこからくる辞職願望があると動揺して焦る。心底は面倒くさいが木戸さんに居てもらわないと大久保政権の専制と言われて困るし、木戸さんの先見の明や見識を尊敬しているから。
周囲に手紙を書いたり木戸さんに直接面会しに行ったり、懸命にあらゆる手を尽くしているのがなんともこう…🤦♀️
④大久保さんの方が3歳上、身長も約3cm高い。でも木戸さんの方がやや高潔な感じ。日記の中では互いを「木戸子(=氏)」「大久保」と書いている。
⑤国と政府のため、2人は何時間でも会談をする。料亭で約束したり家を行き来したり。お互いの日記に度々「情実等吐露談論」「厚く談論に及び」など出てくる。
⑥個人としての反りは合わない。大久保さんは寡黙、木戸さんはお喋り。日記にもタイプの違いが出ていて面白い。また、思考の違いがあってこそ話し合いで意見を交わし補完し合ったとも言える。あと子ども好きとか温泉好きとか、共通点もある。
⑦政治路線の違いで揉めるけど、国やできたばかりの明治政府を守り育てていくという大きな目的は一緒。政府の危機となると手を取り合えるの強い。
⑧2人の別れは木戸さんの病死。西南戦争のさなか、見舞いに訪れた大久保さんの手を木戸さんは握って「西郷もまた大抵にせんか、余自ら赴きて之を説諭すべし」と言ったという…(亡くなる数日前)。木戸さんは最期まで政府のために在ろうとし、国の行く末を案じていた。そして木戸さんの病死から約一年後に暗殺されてしまう大久保さんもまた、最期まで国を思っていた。
⑨出会ってから10年以上、共に難しい時期の国の舵取りをしたけれど、最終的なお互いへの思いは「本人たちのみぞ知る」的な節がある。ただ、決して見捨てなかったし(互いの存在が大きく、世間へ政府の体面を保つ意味で離れられなかったのかもしれない)、少なくとも薩長のトップとして意識し合っていた。
⑩薩摩と長州の離れた地に生まれた2人が動乱の幕末で出会ったことや、明治初期に唯一無二の複雑な関係性で国づくりを進めたことも、あまりに運命的だと思わずにはいられない。
いつも尊敬をもってこちらのお二人を描いていますが、やはり「あああ好きぃ…💕」となってしまいます。
ここまでお読みくださった方、お付き合いありがとうございました!🙇♀️
明治政府の父・大久保さんと、明治政府の母・木戸さん。同時代の方々が「維新の父母というべき」「性の合わない夫婦のよう」などと仰っていて、もはや公認でしてね…
受験科目の日本史Bで調べているうちにハマり、大学生になった今となってはいつの間にか全身まで沼に浸かっております。
以下、魅力を…。思い浮かんだことをとりあえず書きましたが、整理すればまだまだあります(笑)
①破局寸前の対立期も手を取り合う協力期も、お互い根底に尊敬はある。明治3、4年は特に行動を共にして、大久保さんが木戸さんへ漢詩を贈ったり、会談後にサシで呑んだり、温泉に入ったり、川船や馬車に同乗したり、同じ宿に泊まったりしている。
2人は素敵で大人で面白くてかっこいい!
②木戸さんの離婚届(辞表)&家出(政府辞職)と、連れ戻そうとする大久保さんの外面クール内面熱烈な追っかけによって成り立つ。なんなら大久保さんも時に抗議の辞表を出して、木戸さん派の力を牽制する。
不仲の時期はお互い辞意をちらつかせるため、上(岩倉公や三条公)から下(伊藤さんたち)までが2人の仲を取り持つ。
③普段冷静な大久保さんだけど、木戸さんから(政治面での)不満とそこからくる辞職願望があると動揺して焦る。心底は面倒くさいが木戸さんに居てもらわないと大久保政権の専制と言われて困るし、木戸さんの先見の明や見識を尊敬しているから。
周囲に手紙を書いたり木戸さんに直接面会しに行ったり、懸命にあらゆる手を尽くしているのがなんともこう…🤦♀️
④大久保さんの方が3歳上、身長も約3cm高い。でも木戸さんの方がやや高潔な感じ。日記の中では互いを「木戸子(=氏)」「大久保」と書いている。
⑤国と政府のため、2人は何時間でも会談をする。料亭で約束したり家を行き来したり。お互いの日記に度々「情実等吐露談論」「厚く談論に及び」など出てくる。
⑥個人としての反りは合わない。大久保さんは寡黙、木戸さんはお喋り。日記にもタイプの違いが出ていて面白い。また、思考の違いがあってこそ話し合いで意見を交わし補完し合ったとも言える。あと子ども好きとか温泉好きとか、共通点もある。
⑦政治路線の違いで揉めるけど、国やできたばかりの明治政府を守り育てていくという大きな目的は一緒。政府の危機となると手を取り合えるの強い。
⑧2人の別れは木戸さんの病死。西南戦争のさなか、見舞いに訪れた大久保さんの手を木戸さんは握って「西郷もまた大抵にせんか、余自ら赴きて之を説諭すべし」と言ったという…(亡くなる数日前)。木戸さんは最期まで政府のために在ろうとし、国の行く末を案じていた。そして木戸さんの病死から約一年後に暗殺されてしまう大久保さんもまた、最期まで国を思っていた。
⑨出会ってから10年以上、共に難しい時期の国の舵取りをしたけれど、最終的なお互いへの思いは「本人たちのみぞ知る」的な節がある。ただ、決して見捨てなかったし(互いの存在が大きく、世間へ政府の体面を保つ意味で離れられなかったのかもしれない)、少なくとも薩長のトップとして意識し合っていた。
⑩薩摩と長州の離れた地に生まれた2人が動乱の幕末で出会ったことや、明治初期に唯一無二の複雑な関係性で国づくりを進めたことも、あまりに運命的だと思わずにはいられない。
いつも尊敬をもってこちらのお二人を描いていますが、やはり「あああ好きぃ…💕」となってしまいます。
ここまでお読みくださった方、お付き合いありがとうございました!🙇♀️
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2025-01-23 00:28
Comments (11)
3P→濃いめの玉露は大久保には好みでも木戸には濃すぎたようですな。やはり酒の方が性に合っていたんでしょうか
View Replies明治夫婦最高です〜!!!! 歴史の授業で明治夫婦が出てきた瞬間、ノートの大久保利通と木戸孝允のところに「この二人は明治夫婦と呼ばれてる」って書いてしまいました(笑) 大学生だったんですね!!!すごい…年上
View Repliesコメント失礼します!明治夫婦良いですよね!私は学校で配られた歴史の資料集きっかけではまりました!木戸日記読みたいのですが、私にはハードル高くて困ってます…おすすめの書籍などがあればぜひ教えてほしいです!
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