エピローグ それぞれ歩むべき帰り道へ・・・
みなさん、“ビクティニとチョコボの異世界漂流記”はお楽しみいただけましたか?
今回は完全最終話として、ビクティニやチョコボ、そしてC56のその後をエピローグとして制作しました。
ビクティニとチョコボは予定通りそれぞれの帰路につくことができ、これまで1ヶ月も異世界をさまよっていたそれぞれの思い出にひたっています。一方、島根県で静態保存されていたC56は、異世界へ誘われた後には既に動けるよう整備されていたのか、日本に帰ってきた暁には、JR木次線活性化の為に観光列車“SL奥出雲号”として運行されています。そして客車も解体されそうになった状態の良い旧型客車2両を木次線のSL列車用として再整備されています。
やはりビクティニとチョコボが誘われた異世界のおかげで、本来は動けなかったC56が木次線の観光列車として返り咲くことができたのかもしれませんw
ということで、”ビクティニとチョコボの異世界漂流記”シリーズは、今回のお話で今度こそおしまいです。
最後の最後までご覧いただきまして、ありがとうございました!
★8630号機(8620型蒸気機関車)★
8620型蒸気機関車は、日本で最初の量産タイプの旅客用蒸気機関車で、“ハチロク”という愛称を持つ。当時、国産初の量産型貨物用蒸気機関車9600型とならんで大正生まれでありながら、国鉄蒸機の時代終焉まで活躍した。
8630号機は、大正3(1914)年製で、当初は東海道本線や東北本線で活躍し、後に千葉地区、常磐線を最後に本線で活躍した。その後は弘前機関区にて入換機として使用されたが、引退時には五能線を走ったことがあるという。
引退後は梅小路蒸気機関車館(現:京都鉄道博物館)にて『SLスチーム号』として走行している。
なお、SLスチーム号の機関車の中では8630号機が最古参である。
★C56型蒸気機関車★
低規格の路線にも入れるようにしたテンダー型蒸気機関車。
短い距離しか走行できないC12型蒸気機関車に炭水車をつけたような構造で、炭水車の炭庫側面を大きく欠き取り後方視界を確保したスタイルが特徴的である。しかし、後退運転が可能とはいえ、走行特性が低下してしまうため、本線上ではあまりつかわれていない。
また、C56型は軽量小型でありながら長距離の運用に適する設計であるがゆえ軍部より注目され、1940年代の太平洋戦争時に、1~90号機がタイやミャンマーへ供出された。したがって、日本に残ったC56型はわずか68両のみ在籍した比較的少数派の形式となってしまった。
戦後は木次線や小海線、飯山線、越後線、大糸線、三江線などのローカル線で活躍した。中でも、小海線を走るC56型は、“高原のポニー”と親しまれるほど有名になった。
国鉄から蒸気機関車が現役を退いた1979年には31号機と44号機がタイから帰還した。31号機は靖国神社にて静態保存。44号機が大井川鉄道で動態保存されている。160号機も国鉄民営化後もイベント用として活躍し、SLやまぐち号でも活躍してきたが、2018年に引退した。
今回は完全最終話として、ビクティニやチョコボ、そしてC56のその後をエピローグとして制作しました。
ビクティニとチョコボは予定通りそれぞれの帰路につくことができ、これまで1ヶ月も異世界をさまよっていたそれぞれの思い出にひたっています。一方、島根県で静態保存されていたC56は、異世界へ誘われた後には既に動けるよう整備されていたのか、日本に帰ってきた暁には、JR木次線活性化の為に観光列車“SL奥出雲号”として運行されています。そして客車も解体されそうになった状態の良い旧型客車2両を木次線のSL列車用として再整備されています。
やはりビクティニとチョコボが誘われた異世界のおかげで、本来は動けなかったC56が木次線の観光列車として返り咲くことができたのかもしれませんw
ということで、”ビクティニとチョコボの異世界漂流記”シリーズは、今回のお話で今度こそおしまいです。
最後の最後までご覧いただきまして、ありがとうございました!
★8630号機(8620型蒸気機関車)★
8620型蒸気機関車は、日本で最初の量産タイプの旅客用蒸気機関車で、“ハチロク”という愛称を持つ。当時、国産初の量産型貨物用蒸気機関車9600型とならんで大正生まれでありながら、国鉄蒸機の時代終焉まで活躍した。
8630号機は、大正3(1914)年製で、当初は東海道本線や東北本線で活躍し、後に千葉地区、常磐線を最後に本線で活躍した。その後は弘前機関区にて入換機として使用されたが、引退時には五能線を走ったことがあるという。
引退後は梅小路蒸気機関車館(現:京都鉄道博物館)にて『SLスチーム号』として走行している。
なお、SLスチーム号の機関車の中では8630号機が最古参である。
★C56型蒸気機関車★
低規格の路線にも入れるようにしたテンダー型蒸気機関車。
短い距離しか走行できないC12型蒸気機関車に炭水車をつけたような構造で、炭水車の炭庫側面を大きく欠き取り後方視界を確保したスタイルが特徴的である。しかし、後退運転が可能とはいえ、走行特性が低下してしまうため、本線上ではあまりつかわれていない。
また、C56型は軽量小型でありながら長距離の運用に適する設計であるがゆえ軍部より注目され、1940年代の太平洋戦争時に、1~90号機がタイやミャンマーへ供出された。したがって、日本に残ったC56型はわずか68両のみ在籍した比較的少数派の形式となってしまった。
戦後は木次線や小海線、飯山線、越後線、大糸線、三江線などのローカル線で活躍した。中でも、小海線を走るC56型は、“高原のポニー”と親しまれるほど有名になった。
国鉄から蒸気機関車が現役を退いた1979年には31号機と44号機がタイから帰還した。31号機は靖国神社にて静態保存。44号機が大井川鉄道で動態保存されている。160号機も国鉄民営化後もイベント用として活躍し、SLやまぐち号でも活躍してきたが、2018年に引退した。
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2025-03-28 20:00
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