この呪いを祝福とするなら

タイトルは以下の3つの意味を込めて付けました。
①あやめにとって自身の出生=呪いの始まりでも、誕生日はおめでたいもので生きることは素晴らしいとされる世の中で生き続けなければいけなくて、きっと事情を知らない人から「誕生日おめでとう」と言われ空虚で疎外感を感じたこともあったと思うけれど、本懐エンドで自らの命を捧げて北斎を蘇らせたときだけは自身の誕生を祝福できたのではないかという気持ちを込めて

②多数の犠牲者を出した片葉の芦は外野から見れば残虐で人の道を外れる呪いでしかないが、あやめにとっては本懐を遂げてこの世から去れる、まさに天から与えられた祝福だったのではないかという考えを込めて

③望まれずに生まれ愛を受け取れずに育ち、自らの命に価値を感じていないあやめの誕生日を祝うのは、あやめに対して無理解な行動なのではないかと自問したが、それでもその誕生をわたしが祝うならこのエンディングのあやめの絵しかなく、せめてその瞬間だけは祝福するのを許されたいというわたし自身の想いを込めて

左上の千鳥は個人的な体験から着想を得て描きました。自分は今まで見てきた北斎の単色刷り作品の中で富嶽百景の「海上の不二」が構図の美しさから1番好きで、去年開催されたすみだ北斎美術館の「グレートウェーブ・インパクト展」でも展示されていました。

この展示は グレートウェーブ、つまり冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」が誕生するまでの軌跡を、北斎や他作家の作品を通して紹介した展示でした。

波飛沫から千鳥へ変化しているように見せる表現は、この作品だけでなく北斎自身も何度か描いていて、それを見た当時の別の絵描きも真似して取り入れ、さらには海を渡った海外の絵描きも倣っていたくらい影響があったようなのですが、その他の絵描きの絵すらもすべて北斎は飲み込んで、さらに高みへと進化させた作品に昇華していく様が展示を通して語られていました。

向上心なんて生易しい言葉では言い表せないほどの、絵に対しての貪欲さを浴びせられる強烈な体験、目に映るものすべてを自身の作品のために血肉にする、身を切るような絵師としての矜持や覚悟を、口をこじあけて押し込まれるような感覚で畏怖の念を覚えるほどでした。今でも思い出して泣きそうになるくらいの感動で、自分も絵描きの端くれとしてこういう気概で生きていたいと思いました。

北斎が北斎たる所以が垣間見えたその体験を、今回のあやめの絵にも取り入れたくて、象徴の千鳥を描きました。

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2025-06-10 18:10

 sii


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