駆逐艦「初春」型
ロンドン条約で制限された保有量以内で強力な艦をそろえる、つまり「小さな船体に強力な武装を持つもの」というコンセプトで「初春」型は造られました。しかし重心が高く転覆しやすいことと、昭和9年3月に起きた友鶴事件のことから復原性能改善のため改装工事が行われました。結果的に「初春」型は6隻しか建造されず、7隻目からは設計を修正した「白露」型が建造されることになりました。尚、「初春」は昭和19年に沈没してしまっているので、最終時のイラストには一番長生きした「初霜」を持ってきております。
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2011-07-02 21:16
Comments (7)
もう続きはないのか…
線香花火さん>>新造時なんかもう、可愛いとさえ思ってます。次発装填装置は置き方で悩んだでしょうねぇ、何て言っても甲板スペースが少ないですから。
もーぐるさん>>砲を取り払ってまで機銃を載せるぐらいですからね。日本海軍の十八番である水雷戦の機会が減ったのは惜しい・・・。
初春型は竣工時の砲配置や艦橋が素敵ですよねb あと次発装填装置を装備したあたりなんかも、大好きです
対空兵装の充実が如実に戦いの主役が航空機の時代になったのが分かりやすいですね。
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