命蓮寺の境内にて
自分は、仏教に近しい家庭で過ごしてきたにも関わらず、それなりにしか仏教は知らない。お経も読めたものではないし、寺に参拝することも滅多に・・・いや。数えるくらいしか行った事もなかった。しかし、最近になってやけに寺に赴く機会が増えてきた。行き先は命蓮寺。特に目的があるわけではない。多少の信仰心はあれど仏教を極めようなどと思ってもいない。ただ、寺の入り口で出会う妖の娘・・・あの子が境内を歩く自分の姿を見つけるなりやけに嬉しそう(元気なだけかもしれないが)な声で自分を向かえるものだから、いつの間にか足繁く通うようになってしまったらしい。妖怪というものがどれほど危険か。もちろんだれだってそれを知らぬわけではない。しかし、妖怪でも人間でも隔てなく迎える命蓮寺。そして同じく人間であれ妖怪であれ平等に挨拶をする彼女の屈託無い笑顔とまたまみえる事が出来るというのであれば、自分もまたその境内にいつの間にか通っているのであろうと思わせられてしまう。・・・そういえば。あの子と会ってまた一つ、変わったことがあった。それは人にとって当たり前である行為であるが、人付き合いを極端に減らしてしまっていた自分には欠けていたもの。いや。蔑ろにしてきたものと言った方が正しいかもしれない。初対面からその重要性を教えてくれた彼女には、感謝こそすれ、始めに鬱陶しく感じてしまったことに深く反省をしないといけないだろう。・・・今日もまた。何時もと同じく聞きなれた音を響かせつつ箒を動かす妖怪少女(だと自分は思い込んでいる)の後ろ姿。自分が近づくと何時ものように振り返り、満面の笑みで一言、最早恒例・・・当たり前の台詞を掛けてくる。いい加減に聞きなれた自分は、敢えてその言の葉に重ねるかのように自分なりに笑顔を向けて彼女に負けないくらいの声で返すのだ。『おはようございます!』
○・・・いや。なんか思いついてしまったのである。こんな痛いキャプションを。もう恥ずかしくて脳内をこてんぱんに粉砕したいところだが敢えて醜態を晒すこの行為は正しく・・・Sだね!(主に自分に対して)そして追記してしまったという・・・
○・・・いや。なんか思いついてしまったのである。こんな痛いキャプションを。もう恥ずかしくて脳内をこてんぱんに粉砕したいところだが敢えて醜態を晒すこの行為は正しく・・・Sだね!(主に自分に対して)そして追記してしまったという・・・
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2011-07-07 13:34
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