揖斐谷を走った古豪
初めて名鉄の西の末端を訪れたのは2001年の7月初頭だった
名古屋、岐阜を経由し黒野から本揖斐まで、揖斐線を乗り通した
21世紀にもなって、大手私鉄にこんなローカル然な路線が残っていたことにただただ驚きだった
黒野で初めてモ750を見て、いっぺんに魅了されてしまった
夏の日差しのなか、暑さも忘れて電車を眺めて、そしてたくさんの写真を撮った
製造後70年を経た古典車輌だったが、さすがに大手私鉄の車輌とあって美しく整備されていた
これに気を良くした僕は同じ7月の末にも出掛けて行って、乗り残していた谷汲線にも乗車した
黒野からの谷汲線と、揖斐線の黒野~本揖斐間は同年の10月に廃止が決定していたが、
夏休み前の平日はまだ訪れるファンも多くなく、穏やかな日常が流れていた
揖斐の時とは異なり、谷汲線は終点から遡るように乗車した
高山本線経由で岐阜入りしていたので、大垣から樽見鉄道の谷汲口へと出た
ここから近鉄バスが谷汲山まで出ていたが、このバスが谷汲の駅前を通過するのだった
谷汲の駅前にバス停は無かったが、運転手さんに頼んで終点までの運賃を払い駅前で特別に降ろしてもらった
天気は生憎の霧雨模様だったが緑の木立の中から真っ赤な小型電車がゆらゆら揺れながら到着したシーンが鮮烈に脳裏に残っている
比較的平坦な揖斐線に比べて、山間部に分け入ってゆく谷汲線は風景にも富んでいてファンが多かった
山あり、谷あり、そして川沿いの細道を、ほんの僅かな乗客を乗せて、電車は淡々と走った
あれからもう10年が経過した
線路は撤去されたが、まだ電車が走っていた痕跡はそこかしこに残っている
あのとき、最後まで残っていた3両の750型はいずれも何らかの形で保存された
このとき僕が乗った754は瀬戸蔵ミュージアムに緑の瀬戸電時代の姿に復元されて保存されておりいつでも見ることが出来る
名古屋、岐阜を経由し黒野から本揖斐まで、揖斐線を乗り通した
21世紀にもなって、大手私鉄にこんなローカル然な路線が残っていたことにただただ驚きだった
黒野で初めてモ750を見て、いっぺんに魅了されてしまった
夏の日差しのなか、暑さも忘れて電車を眺めて、そしてたくさんの写真を撮った
製造後70年を経た古典車輌だったが、さすがに大手私鉄の車輌とあって美しく整備されていた
これに気を良くした僕は同じ7月の末にも出掛けて行って、乗り残していた谷汲線にも乗車した
黒野からの谷汲線と、揖斐線の黒野~本揖斐間は同年の10月に廃止が決定していたが、
夏休み前の平日はまだ訪れるファンも多くなく、穏やかな日常が流れていた
揖斐の時とは異なり、谷汲線は終点から遡るように乗車した
高山本線経由で岐阜入りしていたので、大垣から樽見鉄道の谷汲口へと出た
ここから近鉄バスが谷汲山まで出ていたが、このバスが谷汲の駅前を通過するのだった
谷汲の駅前にバス停は無かったが、運転手さんに頼んで終点までの運賃を払い駅前で特別に降ろしてもらった
天気は生憎の霧雨模様だったが緑の木立の中から真っ赤な小型電車がゆらゆら揺れながら到着したシーンが鮮烈に脳裏に残っている
比較的平坦な揖斐線に比べて、山間部に分け入ってゆく谷汲線は風景にも富んでいてファンが多かった
山あり、谷あり、そして川沿いの細道を、ほんの僅かな乗客を乗せて、電車は淡々と走った
あれからもう10年が経過した
線路は撤去されたが、まだ電車が走っていた痕跡はそこかしこに残っている
あのとき、最後まで残っていた3両の750型はいずれも何らかの形で保存された
このとき僕が乗った754は瀬戸蔵ミュージアムに緑の瀬戸電時代の姿に復元されて保存されておりいつでも見ることが出来る
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2011-07-20 16:41
Comments (12)
谷汲線、実際に乗ったことは無いのですが、BVEで運転したことが。単線でのどかな風景が再現されていたな。
このまえ、瀬戸蔵ミュージアム行ってきました。ブック式の行き先表示やマスコンハンドルを自由に操作することができる状態で、綺麗に展示されていました。
小学校に上がる前か、上がった直後に揖斐線と谷汲線に乗ったことがありまして、前面窓から吹き込む風が気持ちよくて、JRや近鉄(当時)でもやれば良いのに、と考えた記憶がありますねえ^^
谷汲線ですか!!懐かしいですね。北野畑駅の列車交換や長瀬(結城)~谷汲の築堤と森のトンネルの中を行く風景を思い出します。旧谷汲駅は今でも往時と変わらないたたずまいを残していますよ。pixiv上で以前掲載したのでもしよろしかったら見てみてください・・。
むかしはあちこちで無茶なことをしてたものですね。今では保安装置がどうとか言い始めるし、利権も絡むので中々・・・
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