兒玉次郎彦と百合若少年(後に源太郎)
兒玉源太郎は嘉永5年徳山藩士の嫡男として生まれたが、5歳の年父と死別、相続には幼すぎる為姉の久子の婿養子となった次郎彦が児玉家を継ぐ。次郎彦は藩内きっての勤皇家であり源太郎はこの義兄の薫陶を受けて成長する。
元治元年、禁門の変ののち長州藩が朝敵となると藩論は一気に謝罪恭順に傾き、徳山藩内でも保守派が席巻した。焦った次郎彦ら勤皇派は仲間と謀り保守派の富山源次郎の暗殺を企てるが失敗、逆に報復を受け襲撃される。八月十二日、自宅前において義母や産後まもない妻の目前で斬殺されたのである。
源太郎は12歳になっていたが家名相続は認められず児玉家は断絶、俸禄も住居も召し上げられた。(次郎彦に生まれたばかりの男児があったので僅かな扶持は支給された)源太郎は家族と共に親戚に身を寄せ母や姉の内職でなんとか糊口をしのぐ。
しかし翌年高杉晋作らのクーデターが成功し藩内の攘夷派が巻き返すと、赦されて児玉家の家名も復興、14歳の源太郎は次郎彦の養子として児玉家を相続する。
百合若は幼名。元服して源太郎忠精と名乗る。
というのを前にブログに挙げてましたが、大河坂の上の雲で児玉家のエピソードをちゃんと出していたので再度あげることにします。
元治元年、禁門の変ののち長州藩が朝敵となると藩論は一気に謝罪恭順に傾き、徳山藩内でも保守派が席巻した。焦った次郎彦ら勤皇派は仲間と謀り保守派の富山源次郎の暗殺を企てるが失敗、逆に報復を受け襲撃される。八月十二日、自宅前において義母や産後まもない妻の目前で斬殺されたのである。
源太郎は12歳になっていたが家名相続は認められず児玉家は断絶、俸禄も住居も召し上げられた。(次郎彦に生まれたばかりの男児があったので僅かな扶持は支給された)源太郎は家族と共に親戚に身を寄せ母や姉の内職でなんとか糊口をしのぐ。
しかし翌年高杉晋作らのクーデターが成功し藩内の攘夷派が巻き返すと、赦されて児玉家の家名も復興、14歳の源太郎は次郎彦の養子として児玉家を相続する。
百合若は幼名。元服して源太郎忠精と名乗る。
というのを前にブログに挙げてましたが、大河坂の上の雲で児玉家のエピソードをちゃんと出していたので再度あげることにします。
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2011-12-13 23:56
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