戦車考察・・・・・
たまには戦車でも描かないと、ささっと二時間程で。一応、五式中戦車を元とし、九八式軽戦車を参考に大型転輪化してみました。ただ、描いた後気付いたのですが、本来の五式に比べ転輪の大きさは見積もって二倍近くもあり、さらに片側転輪数は五式と同じなので、全長は十米を超えています。なので、主砲も試製十糎戦車砲に使われたザウコップ型駐退機覆を付けた、改造三式十二糎高射砲もとい五式十二糎戦車砲、装甲も主砲塔正面、車体を最大百粍厚、砲塔側面で七五粍、発動機は航空機用改造、六百馬力のものとしてみました。しかし大型転輪に使える懸架装置は、当時としてはトーションバー、又はクリスティー式懸架装置しかないので、トーションバーは当時日本では研究段階でしかなく、消去法でクリスティーしかないのですが、日本独自の平衡式連動懸架装置に比べ複雑化しそうな気がします。結局、懸架装置については車体内臓型平衡式連動懸架装置なんていう馬鹿な考えも思いつきましたが、決定はしておりません。さて、こううだうだと考えていたら、日本の戦車開発で、不思議を感じる点が浮かびました。まず、トーションバーについてですが、手元に資料は無く、ネットで調べてもほとんど出てきません。一応研究段階ではあったと分かりましたが、それ以外には不明です。クリスティーについても九八式軽戦車で試作採用されてますが、すぐに平衡式連動懸架装置に戻されてしまいました。とりあえず自分としては、日本におけるトーションバー研究について、興味があります。主砲の方にも言えますが、日本では試製十糎戦車砲なる大口径戦車砲を研究、開発していましたが、当時それよりも大口径で三式十二糎高射砲が存在しています。自分としては、そっちを基本として優先的に開発した方が、実戦化が早かった気がするのですが。まあ口径の違いによる補給の問題や、都市防空の為に優先的に配備して、それどころではなかったかもしれませんが。ただ、海軍からの委託火砲の中には、四五口径十年式十二糎高角砲がありました。少なくとも量産化されていたため、海軍に頭を下げれば(ある意味一番の問題だが)補給の問題もなんとかなります。せめて本命が完成するまでの繋ぎとして、この火砲が使われていたらと思う次第です。(実際海軍でも、九七式中戦車の車体に搭載、自走砲化する計画もありました。)まあ全て自分の考えた戯言として流して下さい。(字数制限)
61
7
1333
2012-02-09 21:13
Comments (18)
>らびっと&きゃっと様~コメントありがとうございます。描き慣れれば、こんな感じになります。もしこんなので良ければこれからも宜しくお願いします。
2時間でこんなに描けるのですか!? すごぃです…((>Δ<))
せめて大重量徹甲弾ぐらいあれば、たとえ初速が遅い砲であったとしても、貫通力はまだ大きかったでしょうし。やはり、そこにたどり着けなかったから、茨の道を歩まざるを得なかったのでしょうかね。
確かに鋳造と鍛造に関しては、ある意味歴史が長いため、他国よりは進んでいた方でしたね。まあ徹甲弾の場合は、ある意味残念としか言えませんね。実際、砲としては優れていても、徹甲弾で性能低下という悲しい事実もありますからね。
>加賀函館様~確かにバネに関して言えば、かなり苦労していましたね。おかげで一式三十七粍高射機関砲や五式四十粍高射機関砲の量産が滞っていたらしいですし。軽量化とはいえ、水平射撃数発で駐退機故障で、お釈迦になる高射砲を作っていた事実もありますからね。
Show More