T-50
○T-50○
第二次世界大戦前期にかけてソ連が開発・製造した優秀な軽戦車である。
ソ連軍上層部はT-34の生産と並行し、T-26軽戦車の後継車両として快速戦車並の高速性能と中戦車並の防御力を備えた歩兵支援戦車の開発をレニングラードのキーロフスキー工場・ボルシェヴィキ工場に命令した。
1940年までに試作車両が完成、量産を開始すると共にT-50と命名された。T-50は各国当時の軽戦車と比較してバランスの取れた性能を持つ歩兵支援車両であった。主砲は長砲身の46口径45mm戦車砲M1938を搭載、防御装甲は砲塔最大37mm、車体前面37~45mm、後部・側面37mmの傾斜装甲を採用し、300馬力のV-4液冷ディーゼル発動機により最高時速60km(不整地:40km)を達成した。
また、設計段階から送受信可能な無線装備も充実しており、独特なキューポラ構造から視界性能も極めて良好だった。KV重戦車と同様のトーションバー式サスペンションを採用した事で操作性も優秀、足回りの形状から『マールィ・クリム(=ミニKV)』と呼ばれた。 (緒元性能:T-50-1) 車体長:5.20m 全幅:2.47m 重量:14.5t 発動機:V-4液冷アルミディーゼル/300馬力 最大速度:40~60km 装甲厚:37~45mm 乗員:4名 武装:46口径45mm砲×1 7.62mm機銃×2 ドキュメンタリー独ソ戦→(http://www.nicovideo.jp/mylist/27496448)
第二次世界大戦前期にかけてソ連が開発・製造した優秀な軽戦車である。
ソ連軍上層部はT-34の生産と並行し、T-26軽戦車の後継車両として快速戦車並の高速性能と中戦車並の防御力を備えた歩兵支援戦車の開発をレニングラードのキーロフスキー工場・ボルシェヴィキ工場に命令した。
1940年までに試作車両が完成、量産を開始すると共にT-50と命名された。T-50は各国当時の軽戦車と比較してバランスの取れた性能を持つ歩兵支援車両であった。主砲は長砲身の46口径45mm戦車砲M1938を搭載、防御装甲は砲塔最大37mm、車体前面37~45mm、後部・側面37mmの傾斜装甲を採用し、300馬力のV-4液冷ディーゼル発動機により最高時速60km(不整地:40km)を達成した。
また、設計段階から送受信可能な無線装備も充実しており、独特なキューポラ構造から視界性能も極めて良好だった。KV重戦車と同様のトーションバー式サスペンションを採用した事で操作性も優秀、足回りの形状から『マールィ・クリム(=ミニKV)』と呼ばれた。 (緒元性能:T-50-1) 車体長:5.20m 全幅:2.47m 重量:14.5t 発動機:V-4液冷アルミディーゼル/300馬力 最大速度:40~60km 装甲厚:37~45mm 乗員:4名 武装:46口径45mm砲×1 7.62mm機銃×2 ドキュメンタリー独ソ戦→(http://www.nicovideo.jp/mylist/27496448)
兵器
weapon
戦車
tank
軽戦車
keisennsha
ソ連軍
Soviet Army
大祖国戦争
Great Patriotic War
T-50
T-50(戦車)
te-pidisshatto
車両
sharixyou
独ソ戦
dokusosenn
41
52
2342
2013-04-21 18:52
Comments (12)
M13/40「鹵獲だったら俺に任せろー!(オーストラリア軍仕様)」
M3「代わりに僕が支援するよ」 鹵獲3号戦車「ソノヤクメハワタシニオマカセヲ」
マチルダⅡ「歩兵支援は大切さ。え・・・この子、徹甲弾以外に榴弾や散弾も搭載してる。」
ある元ソ連兵はこう語る 「もし狙撃(歩兵)師団で2個小隊につきこいつ(T-50)が一両ずつ配備されていたらどれほどの兵士が生きて故郷へ帰れたのだろうか・・・」
38(t)「け、軽戦車・・・?」
Show More