お菓子作りで最強を目指すことにした英さん

まっさきにこの図が思いうかんだ。

以下最終回レビュー
良かった。ご都合主義と言えばそれまでかもしれないけど、脚本ってつじつまがあってればいいってものじゃない。観客の感情に訴える効果の有機性がより重要だと思う。
なので、ああこの子が報われて欲しいな、退場するのは惜しい、死んで欲しくないなと思わせておいて最終回に観客のその願望をかなえてあげるやり方は実に効果的だ。
ただし、それまで大まじめにやっておいて最後にデウス・エクス・マキナ的ハッピーエンドをやってしまうと非常に陳腐になってしまう。
その点悪魔のリドルはシリアスだけどわりとガバガバ展開でやってきたので、最後にどんでん返しがあっても違和感自体控えめになる。

そしてあの最終回は、実はけっこうちゃんとしてる。
作中の「世界は□□に満ちている」というリドルは最後まで観ればわかるようになっていて、もちろん□□の中は「赦し」だろう。
晴も「生きてるってことは赦されてること」だと言っていたので、最終回で全員が生きていたということは全員が許されているという意味になり、また全員が生きていたからこそ「世界は赦しに満ちている」という言葉が真実味を帯びる。
約一名許されざるサイコキラーがいるような気もするけど。
つまり作品が持つテーマには一貫性があり、よくよく考えてみるとひどい超展開というわけではない。意味のあるご都合主義だ。
そして世界は赦しに満ちているのだから、観客もこの隙の多い展開を許さずにはいられない寛容の心を持ってねというメタ的なメッセージもある。

ただ人が死ねばドラマチックになって作品の価値を高めるわけじゃないよ。
もし晴ちゃんが死んでたらやっぱり晴ちゃんは赦されなかったことになるし、兎角さんも後悔する鬱エンドだし。
「(救いは)ないね」ってそんな鬱メッセージをこのあんまり真に迫らない展開で12話かけて伝える作品だったらそれこそ駄作。結末で作品の価値が高まったのだから最終回としてはこれ以上ない出来と思う。
というわけで、悪魔のリドルは殺伐とした緊張感のある状況からはじまり、ゆるい展開を経て少女たちが暗い過去を乗り越えて前進する人間賛歌で終わる春アニメの快作でした。あと百合賛歌。

気になること
カイバ先生ってけっきょく何者?兎角さんのパパ?
伊介さまに照らされて蹴られて投げられた真夜ちゃんだけ死んでる…

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2014-06-27 01:10

 珠珠(しゆしゆ) Siyu2


Comments (9)

2014-07-08 23:35

サイボーグってほんと便利ですねぇ。

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天城 零 2014-06-27 21:02

上記のコメントを読ませて頂きましたが、同感です。私の言いたい事そのままです。 あのラスト、海外の反応は「いかにも日本らしい」と芳しくなかったですが、私はあれが最良だったと思います。 全員生きてたというのは、視聴者への最高のプレゼントでした!

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タコぽん 2014-06-27 07:00

みょうゆ 2014-06-27 05:56

ちたひつも毒の色(しえなちゃんに使った「神経毒」と同じ)とかで「生きてる」伏線張ってたし「ガバガバだけど丁寧」でしたよね…とりあえず純恋子さんは真昼ちゃんに引かれないようにね?w

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rize 2014-06-27 02:19

↑同意ですね なんだかんだでご都合と言われても 皆が元気に?その後を過ごしているようで 私としては嬉しかったです

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