江戸の人々~佐竹曙山と小田野直武 俳人大名・藤堂高通~
佐竹氏は藩祖・佐竹義宣の時に関ヶ原での除封により、秋田に来て以来、増収を計画、子孫の佐竹義敦(曙山)は鉱山開発の調査を平賀源内に依頼。調査は不調に終わるも、義敦は玄人肌の画家で、平賀源内に蘭画を学んだ。
雅号は、曙山。佐竹曙山は江戸に帰る平賀源内に家臣の小田野直武を付けて弟子入りさせ画技を学ばせた。江戸に来ると平賀源内 小田野直武と不忍池でスケッチをしたとか。この二人により、秋田に秋田蘭画が花開いた。
また小田野直武は平賀源内の親友・杉田玄白の解体新書の挿し絵を描いた。
藤堂高通
津藩32万石藤堂家の血筋で俳人大名。
家臣で俳人の友というべき人物が松尾芭蕉だった。
雅号は、曙山。佐竹曙山は江戸に帰る平賀源内に家臣の小田野直武を付けて弟子入りさせ画技を学ばせた。江戸に来ると平賀源内 小田野直武と不忍池でスケッチをしたとか。この二人により、秋田に秋田蘭画が花開いた。
また小田野直武は平賀源内の親友・杉田玄白の解体新書の挿し絵を描いた。
藤堂高通
津藩32万石藤堂家の血筋で俳人大名。
家臣で俳人の友というべき人物が松尾芭蕉だった。
秋田
akita
秋田蘭画
佐竹曙山
藤堂高通
小田野直武
解体新書
kaitaishinnsho
画家
painter
奈良屋宗助
narayasousuke
江戸の人々
edonohitobito
奈良屋100
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2015-01-20 20:20
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