十五万両のお棺の中で
ちかごろ私とご縁のあった元戦車兵の方がふたり(千葉戦車学校出身の日本の方と虎戦車乗りのドイツの方)旅立たれていました。最近自分が実際の体験が歴史になっていくターニングポイントにいるんだなぁと思っています。
以前illust/48405717の絵でふれた戦車小唄という歌、その歌詞の中で出てくる「十五万両のお棺の中で」というフレーズ。
この歌はノモンハン事件のころから歌われたそうで、ノモンハンが初の実戦で当時十五万円だった九七式中戦車の運命を歌ったもののようにいわれています。
九七式中戦車ことチハ車は巷でよく弱い戦車のように言われ、ひどいものでは「小銃弾でも貫通する」とか「チハを撃破してもスコアに数えない」などという荒唐無稽なものが耳に届きます。
では実際の作戦でのチハ車はどうだったのでしょうか。
『戦車隊よもやま話』ではマレー作戦での場合40ミリ級の対戦車砲弾一発の命中で擱座することはなく、3発以上の命中で炎上といわれ、参加した88両のうち対戦車砲で損害を受けたものが24%(13%は修理後使用可)だったそうです。
戦争後期の戦車第十連隊のM4戦車との戦闘例では10両のM4と数十メートルの距離で戦ったところ、砲塔に当たる角度にもよるが敵の「徹甲弾の多くは跳飛している」ことが証明され士気が多いに上がったともあります。こうしてみると話に尾ひれ腹ひれはつきものですが、異常なまでに言われるチハ車の弱さ伝説にはあやしいところが多々あります。
とはいっても、最終的にはチハ車と敵戦車の性能の差は「プロボクサーと子供」ほど開いていて、そのうえ圧倒的な物量も重なりついに敵の攻撃に抗しえなかったのだそうです。
十五万両のお棺の中で、しねば火葬の心配もない とはどんな気持ちで歌われていたんでしょうね
以前illust/48405717の絵でふれた戦車小唄という歌、その歌詞の中で出てくる「十五万両のお棺の中で」というフレーズ。
この歌はノモンハン事件のころから歌われたそうで、ノモンハンが初の実戦で当時十五万円だった九七式中戦車の運命を歌ったもののようにいわれています。
九七式中戦車ことチハ車は巷でよく弱い戦車のように言われ、ひどいものでは「小銃弾でも貫通する」とか「チハを撃破してもスコアに数えない」などという荒唐無稽なものが耳に届きます。
では実際の作戦でのチハ車はどうだったのでしょうか。
『戦車隊よもやま話』ではマレー作戦での場合40ミリ級の対戦車砲弾一発の命中で擱座することはなく、3発以上の命中で炎上といわれ、参加した88両のうち対戦車砲で損害を受けたものが24%(13%は修理後使用可)だったそうです。
戦争後期の戦車第十連隊のM4戦車との戦闘例では10両のM4と数十メートルの距離で戦ったところ、砲塔に当たる角度にもよるが敵の「徹甲弾の多くは跳飛している」ことが証明され士気が多いに上がったともあります。こうしてみると話に尾ひれ腹ひれはつきものですが、異常なまでに言われるチハ車の弱さ伝説にはあやしいところが多々あります。
とはいっても、最終的にはチハ車と敵戦車の性能の差は「プロボクサーと子供」ほど開いていて、そのうえ圧倒的な物量も重なりついに敵の攻撃に抗しえなかったのだそうです。
十五万両のお棺の中で、しねば火葬の心配もない とはどんな気持ちで歌われていたんでしょうね
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2015-03-14 18:52
Comments (4)
改造車やらに傑作車両も多いですし独ソがチートなだけだし油圧とか砲塔が電気駆動とかサラッと搭載してるのがチートなだけだし(大事なことなのでry しかし南方だけでなく北海道でソ連を食い止めたりと 勤勉なチハ!∩( ・ω・)∩チハタンばんじゃーい
なんというか乗ってた方々とのつながりもあるせいか、自分にとって九七式中戦車や戦車隊は遠い過去の事として冷めた目で見られなくなってます。 その肩入れのせいもあるでしょうがチハ車は良い戦車です
むしろ、日本の国力や技術力を考えればチハもよく出来た戦車なんですよね。資料によれば熟練兵の命中率は高く、かなりの精度があったことも書かれています。 勿論、欧州の基準から見れば軽戦車並ですが善戦したと思っています。
自分は戦車といえばレイテ島(レイテ沖海戦)ですね。誤認の元に無謀な命令が出され、仕方なく突貫して壊滅したそうで。大将は現状(制空権は無い・彼我の性能差があり過ぎる・ゲリラの監視で行動は筒抜け)を認識せず緒戦の様に活躍出来ると思い込んでいたようです