鶴丸国永 塗らせていただきました!
素敵な線画(illust/48628308)を、塗らせていただきました!
テクスチャは、以下のものをお借りしています。
Neuro! Image様 illust/51980685
のほほん様 illust/37863099
もなむら様 illust/10183874
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=====
『屏風画の鶴、朱を求めて人を斬るの話』
昔、陸奥の国に、平貞盛(たいらのさだもり)という人があった。
平貞盛は、平将門の従兄弟にあたる人であり、
また、平将門と合戦し、これを討ち取った人でもある。
平将門といえば、新皇を名乗り、
朱雀天皇に刃向った人として知られているが、この人は、また、
反りのある日本刀を、初めて作らせた人物でもあるらしい。
しかし、これは、彼らの物語ではない。
これは、平貞盛の養子、平維茂(たいらのこれもち)の物語であり、
さらに言えば、平維茂の所有していた、一隻の屏風の話である。
………
その屏風画には、河原で遊ぶ一翼の鶴が描かれていた。
京の都でも一番と、評判の職人に作らせた屏風であり、
京の屋敷に飾られた、平維茂お気に入りの一品であった。
しかし、近頃、その屏風画について、都では、妙な噂がささやかれていた。
噂によれば、夜も更け、人々が寝静まる頃合いになると、
屏風に描かれた鶴が、絵の中から抜け出すのだという。
鶴はヒトの姿をとって現れ、二尺五寸余りの太刀をもって、人を斬り殺す。
そうして、白い装束に落ちた返り血をしばし見つめ、
参ったな。まだ、朱が足りない。そうつぶやいたかと思うと、
やがて、ふっ、と煙の様に消えてしまうのだという。
斬り殺されるのは、決まって悪人。物盗り、人攫い、山賊の類であり、
また、物陰から不意に現れて人々を驚かせ、これを喜んだという話もあった。
初めは、ただの噂話、怪談話と、笑っていた平維茂であるが、
斬殺された人の骸が実際に見つかったとあっては、そうもいかなくなった。
何人もの高名な僧が、屏風画の鶴を捕獲、退治するべく、維茂邸に集められた。
しかし、坊主どもは、屏風の前で念仏を唱えるばかりである。
天台宗は恵心僧都(えしんそうず)に帰依し、
後には、観音菩薩から降魔の剣を授かる維茂である。しかし、
切り殺される人は増える。坊主は念仏を唱える。
鶴は一向に捕獲することができない。坊主は念仏を唱える。
流石の維茂も、これにはしびれを切らした。
そして、僧侶のあとには、陰陽師の安倍晴明が呼ばれることとなった。
しかし、鶴の屏風画を一目見ると、
陰陽師は首を振り、これは、私の仕事ではない。
人斬りの鶴を捕えたいのであれば、鶴を描いた
本人に任せるより他は無い。そう言ったのである。
かくして、京都は五条から、鶴を描いた本人
であるところの、五条国永が呼ばれるに至ったのである。
さて、この五条国永が、事態を解決するのであるが、実のところ、
ここから先の話は、それほど大したものでもない。
呼び出された国永は、件の屏風画の前に座り込むと、
頭を掻き、それから、入れ忘れていた朱を、件の鶴の頭に描きこんだ。
すると、それからは、人斬りの鶴が現れることは無くなったのである。
こうして、京の都を騒がせた白い鶴の騒ぎは沈静化されたのである。
鶴が自分に欠けていた朱を求めて返り血を浴びていた、
などという説明は、今更必要でもあるまい。
それにしても、この騒動での、斬り殺された被害者がどれも、
悪人であったところを見ると、屏風画の鶴が、高貴な精神
を持った鶴であるということは確かなことのようだ。
というのは、陰陽師安倍晴明が平維茂に語ったところである。
その後、平維茂は、信濃守となった時に、戸隠山にて、
人心を騒がす悪鬼を、降魔の剣をもって退治するのであるが、
しかし、それはまた別の物語である。
テクスチャは、以下のものをお借りしています。
Neuro! Image様 illust/51980685
のほほん様 illust/37863099
もなむら様 illust/10183874
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『屏風画の鶴、朱を求めて人を斬るの話』
昔、陸奥の国に、平貞盛(たいらのさだもり)という人があった。
平貞盛は、平将門の従兄弟にあたる人であり、
また、平将門と合戦し、これを討ち取った人でもある。
平将門といえば、新皇を名乗り、
朱雀天皇に刃向った人として知られているが、この人は、また、
反りのある日本刀を、初めて作らせた人物でもあるらしい。
しかし、これは、彼らの物語ではない。
これは、平貞盛の養子、平維茂(たいらのこれもち)の物語であり、
さらに言えば、平維茂の所有していた、一隻の屏風の話である。
………
その屏風画には、河原で遊ぶ一翼の鶴が描かれていた。
京の都でも一番と、評判の職人に作らせた屏風であり、
京の屋敷に飾られた、平維茂お気に入りの一品であった。
しかし、近頃、その屏風画について、都では、妙な噂がささやかれていた。
噂によれば、夜も更け、人々が寝静まる頃合いになると、
屏風に描かれた鶴が、絵の中から抜け出すのだという。
鶴はヒトの姿をとって現れ、二尺五寸余りの太刀をもって、人を斬り殺す。
そうして、白い装束に落ちた返り血をしばし見つめ、
参ったな。まだ、朱が足りない。そうつぶやいたかと思うと、
やがて、ふっ、と煙の様に消えてしまうのだという。
斬り殺されるのは、決まって悪人。物盗り、人攫い、山賊の類であり、
また、物陰から不意に現れて人々を驚かせ、これを喜んだという話もあった。
初めは、ただの噂話、怪談話と、笑っていた平維茂であるが、
斬殺された人の骸が実際に見つかったとあっては、そうもいかなくなった。
何人もの高名な僧が、屏風画の鶴を捕獲、退治するべく、維茂邸に集められた。
しかし、坊主どもは、屏風の前で念仏を唱えるばかりである。
天台宗は恵心僧都(えしんそうず)に帰依し、
後には、観音菩薩から降魔の剣を授かる維茂である。しかし、
切り殺される人は増える。坊主は念仏を唱える。
鶴は一向に捕獲することができない。坊主は念仏を唱える。
流石の維茂も、これにはしびれを切らした。
そして、僧侶のあとには、陰陽師の安倍晴明が呼ばれることとなった。
しかし、鶴の屏風画を一目見ると、
陰陽師は首を振り、これは、私の仕事ではない。
人斬りの鶴を捕えたいのであれば、鶴を描いた
本人に任せるより他は無い。そう言ったのである。
かくして、京都は五条から、鶴を描いた本人
であるところの、五条国永が呼ばれるに至ったのである。
さて、この五条国永が、事態を解決するのであるが、実のところ、
ここから先の話は、それほど大したものでもない。
呼び出された国永は、件の屏風画の前に座り込むと、
頭を掻き、それから、入れ忘れていた朱を、件の鶴の頭に描きこんだ。
すると、それからは、人斬りの鶴が現れることは無くなったのである。
こうして、京の都を騒がせた白い鶴の騒ぎは沈静化されたのである。
鶴が自分に欠けていた朱を求めて返り血を浴びていた、
などという説明は、今更必要でもあるまい。
それにしても、この騒動での、斬り殺された被害者がどれも、
悪人であったところを見ると、屏風画の鶴が、高貴な精神
を持った鶴であるということは確かなことのようだ。
というのは、陰陽師安倍晴明が平維茂に語ったところである。
その後、平維茂は、信濃守となった時に、戸隠山にて、
人心を騒がす悪鬼を、降魔の剣をもって退治するのであるが、
しかし、それはまた別の物語である。
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2015-08-26 23:34
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