チハ車、南方ヲ往ク~1942マレー電撃戦
マレー電撃戦において、その立役者となった旧陸軍の九七式中戦車(チハ車)と現地で天敵だった英軍の2ポンド砲を描いてみました。
マンパワーでは劣っていた山下奉文中将率いる第25軍は戦車や舟艇を使用した機動戦を展開して、地の利を得ていたはずの英軍を圧倒。特に英軍の重要拠点「クアラルンプール」防衛の要だった「スリム陣地」に対し、島田豊作少佐率いる戦車隊が夜襲を敢行。数週間はかかるとみられていた同地の攻略を僅か1日で成し遂げるという大戦果を挙げました。
しかし非力な九七式や九五式軽戦車での機動戦は犠牲も多く、スリム戦後に惹起したゲマスでの戦闘は、G.ベネット少将率いるオーストラリア第8師団迫真の防戦により一個戦車旅団(向田支隊・第1戦車連隊所属)が壊滅する等の痛打を浴びています。
マンパワーでは劣っていた山下奉文中将率いる第25軍は戦車や舟艇を使用した機動戦を展開して、地の利を得ていたはずの英軍を圧倒。特に英軍の重要拠点「クアラルンプール」防衛の要だった「スリム陣地」に対し、島田豊作少佐率いる戦車隊が夜襲を敢行。数週間はかかるとみられていた同地の攻略を僅か1日で成し遂げるという大戦果を挙げました。
しかし非力な九七式や九五式軽戦車での機動戦は犠牲も多く、スリム戦後に惹起したゲマスでの戦闘は、G.ベネット少将率いるオーストラリア第8師団迫真の防戦により一個戦車旅団(向田支隊・第1戦車連隊所属)が壊滅する等の痛打を浴びています。
九七式中戦車
kyuunanashikichuusennsha
太平洋戦争
Pacific War
第二次世界大戦
World War II
戦車
tank
ミリタリー
military
チハ
chiha
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34
2669
2016-01-13 19:48
Comments (40)
三式中戦車が間に合ったのはすでに出来上がっていた技術や兵器を組み合われるだけだったのが大きいです。逆に一式中戦車は油圧サーボ以外は41年頃には大体完成していましたが新機軸の油圧サーボやシンクロメッシュの開発が失敗したせいで余計ひどいことになりましたね。
View Repliesコイツの最大の弱点は対戦車火力の高い火砲を積むための発展性のなさでも糞エンジンでもなく小口径対戦車砲に対する不十分な防御力ですな。ノモンハン以前の時点で前線側から指摘されていましたし。
View Replies坂道が登れなくて鹵獲したM3に引っ張ってもらったらしいですね・・・(馬力不足) 三式中戦車は見た目クッソ強そうですき
View Replies後期のフィリピン戦で戦車部隊の指揮官を務めた重見伊三雄氏は75㎜砲搭載戦車を上層部に希望したそうですが時期は分かりません。ただ、75㎜砲搭載戦車の開発は昭和12~13年頃に開始されています。主目的は対戦車砲陣地の撲滅ですけど
祖父の話だと戦車(多分チハ)を輸送船(戦標船かどうかは不明)にクレーンで載せる時は船が傾くから一個中隊分乗せるのに一日掛かったらしいッスよ 当時のクレーンの性能もそうだけど輸送船の性能も貧弱だったんだよなぁ・・・
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