【HD名鉄27】名鉄最初のインターアーバン【モ45形Ⅰ】
名古屋電気鉄道168号形→500形→名岐鉄道デシ500形→東美鉄道デ1形→名古屋鉄道モ45形(Ⅰ):
1912年名古屋電車製作所製。当初は特定の形式を持たず便宜上「168号形」などと呼ばれた。
製造両数は38両(168~205号)である。台車はイギリス・マウンテンギブソン製No.35。
名鉄史上最初の郊外型電車で、連結運転に備えて前後にスクリューカプラーを装備していた。
車体はアイボリーとマルーンのツートンカラーで、窓下に青帯を締めているがこれは国鉄2等車並みの設備を
持っていることを意味したものである(同様の例は戦後にも東武5700系青帯車、illust/29652403などにも見られた)。
この電車は名古屋市から北部へ伸びる一宮線(押切町~西印田間。うち東枇杷島~岩倉間は後に犬山線に編入)、
犬山線(岩倉~犬山間)の開業に際してつくられたもので、市内線向けの1号形(illust/56296697)にくらべ腰が高く、
車体も一回り大型であることがお分かりいただけよう。
華々しく登場した同形式だが、1914年には電車焼き討ち事件により187号が被害に遭ってしまう。
この187号は復旧時にドアのついた新造車体となり、別グループとなっているのでまた追って紹介したい。
その後、1918年の改番により500形501~519・521~538号となるも、1920年の那古野車庫火災により
早くも504・506・521・527号の計4両が廃車となっている。
また小型車体ゆえに輸送力が乏しい本形式は早期に余剰が発生、1928年には502・537・538号が
東美鉄道に譲渡されてデ1形1~3号となる。同時期に1両が広瀬鉄道(のちの一畑電鉄広瀬線、廃線)に譲渡されデハ5号となった。
一方、旧名鉄に残存した車両は「デシ500形」という形式になるが、デシ511・516・519号が
機関車に改造されデキ50形51~53号となったほかは1938年に一旦全廃となってしまう。
こうして一度は姿を消したデシ500形だが、1943年に東美鉄道が名鉄に吸収されると、
同線に在籍していたデ1~3号はモ45形(Ⅰ)45~47号に改番され、結果的にこの3両は名鉄へと
出戻りしたことになる。
ところが同年中にモ47号は日本油脂専用線へ渡り同1号に、戦後も残ったモ45・46号もあまりに小型で扱いづらく、
直接制御ゆえに運用上の制約も多かったことから1949年に熊本電気鉄道に譲渡、モハ15・16号となるも束の間、
すぐに荒尾市営電鉄に譲渡され15・16号となり、1951年には廃車となった。
最後まで残った日本油脂専用線1号は1961年頃まで使用されていたという。
1912年名古屋電車製作所製。当初は特定の形式を持たず便宜上「168号形」などと呼ばれた。
製造両数は38両(168~205号)である。台車はイギリス・マウンテンギブソン製No.35。
名鉄史上最初の郊外型電車で、連結運転に備えて前後にスクリューカプラーを装備していた。
車体はアイボリーとマルーンのツートンカラーで、窓下に青帯を締めているがこれは国鉄2等車並みの設備を
持っていることを意味したものである(同様の例は戦後にも東武5700系青帯車、illust/29652403などにも見られた)。
この電車は名古屋市から北部へ伸びる一宮線(押切町~西印田間。うち東枇杷島~岩倉間は後に犬山線に編入)、
犬山線(岩倉~犬山間)の開業に際してつくられたもので、市内線向けの1号形(illust/56296697)にくらべ腰が高く、
車体も一回り大型であることがお分かりいただけよう。
華々しく登場した同形式だが、1914年には電車焼き討ち事件により187号が被害に遭ってしまう。
この187号は復旧時にドアのついた新造車体となり、別グループとなっているのでまた追って紹介したい。
その後、1918年の改番により500形501~519・521~538号となるも、1920年の那古野車庫火災により
早くも504・506・521・527号の計4両が廃車となっている。
また小型車体ゆえに輸送力が乏しい本形式は早期に余剰が発生、1928年には502・537・538号が
東美鉄道に譲渡されてデ1形1~3号となる。同時期に1両が広瀬鉄道(のちの一畑電鉄広瀬線、廃線)に譲渡されデハ5号となった。
一方、旧名鉄に残存した車両は「デシ500形」という形式になるが、デシ511・516・519号が
機関車に改造されデキ50形51~53号となったほかは1938年に一旦全廃となってしまう。
こうして一度は姿を消したデシ500形だが、1943年に東美鉄道が名鉄に吸収されると、
同線に在籍していたデ1~3号はモ45形(Ⅰ)45~47号に改番され、結果的にこの3両は名鉄へと
出戻りしたことになる。
ところが同年中にモ47号は日本油脂専用線へ渡り同1号に、戦後も残ったモ45・46号もあまりに小型で扱いづらく、
直接制御ゆえに運用上の制約も多かったことから1949年に熊本電気鉄道に譲渡、モハ15・16号となるも束の間、
すぐに荒尾市営電鉄に譲渡され15・16号となり、1951年には廃車となった。
最後まで残った日本油脂専用線1号は1961年頃まで使用されていたという。
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2016-05-07 23:43
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