帝国海軍ゆかりの地を訪ねて~蘇った駆逐艦
1945年7月28日、呉に襲来する米軍を迎え撃つため伊勢や日向、榛名・青葉などが固定砲台として奮闘する一方で呉より南へ約60kmに浮かぶ人口390人ほどの小さな島、平郡島(へいぐんとう)ここでも1隻の船が米戦闘機との闘いを繰り広げていました。その船の名前は梨、性能を落とす変わりに建造期間の短縮を目的とした松型駆逐艦に分類され1945年3月に就役、建造は川崎造船所。ただ就役が戦争末期のため船を動かす燃料の調達も十分に出来ず主に訓練を行う日々を送り呉空襲の際は戦闘にも参加、その後7月28日山口県の平郡島に停泊中にアメリカ軍の戦闘機ヘルキャットの攻撃を受け沈没しその生涯を閉じ、1987年に慰霊碑が建立されました。
しかし終戦から9年後の1954年、沈んだ梨をスクラップとして使用するため浮揚し調べてみると船体の状態が良かった為、当時の防衛庁が業者より梨を買取り修理・改装を施し1956年に海上自衛隊の警備艦『わかば』として生まれ変わりました。1962年三宅島噴火の時は住民を避難させるため輸送任務に参加、1975年に解体されました。ちなみに梨の兵装は江田島の海上自衛隊第1術科学校で展示されています。
『慰霊碑への行き方』
梨の慰霊碑がある平群島へはJR柳井港駅南の柳井港から船に乗ります。1日2便、島に旅館はありますがネカフェやホテル・コンビニ・
バス・タクシーは無いと思います。料金は片道1540円、西港へは1時間・慰霊碑の最寄港である東港へは1時間40分で到着、船に車両を載せる時は事前予約がいる模様、詳しくは平郡航路まで。東港へ到着後は右、方向でいうと北西へ海沿いの県道155を約1時間歩くと慰霊碑が左側に見えてきます。ここから西港へ歩いて行く事も可能ですが山道になっており、港へは約2時間かかりました。目印は慰霊碑の少し先に川でいう所の中洲みたいな場所で黄色いガードレールと赤い警告看板が目印(グーグルの航空写真で中州の手前にある小さく森を切り開いている所が慰霊碑、神名崎と表示された文字の左)慰霊碑の位置は船の客室にある地図でも見れます。
場所:平群島
住所:山口県柳井市平郡
最寄の港:平群東港(説明文参照)
使用モデル
pafeさん 若葉
mitoさん 花束と草花5種
甘酒さん 打ち水セット
しかし終戦から9年後の1954年、沈んだ梨をスクラップとして使用するため浮揚し調べてみると船体の状態が良かった為、当時の防衛庁が業者より梨を買取り修理・改装を施し1956年に海上自衛隊の警備艦『わかば』として生まれ変わりました。1962年三宅島噴火の時は住民を避難させるため輸送任務に参加、1975年に解体されました。ちなみに梨の兵装は江田島の海上自衛隊第1術科学校で展示されています。
『慰霊碑への行き方』
梨の慰霊碑がある平群島へはJR柳井港駅南の柳井港から船に乗ります。1日2便、島に旅館はありますがネカフェやホテル・コンビニ・
バス・タクシーは無いと思います。料金は片道1540円、西港へは1時間・慰霊碑の最寄港である東港へは1時間40分で到着、船に車両を載せる時は事前予約がいる模様、詳しくは平郡航路まで。東港へ到着後は右、方向でいうと北西へ海沿いの県道155を約1時間歩くと慰霊碑が左側に見えてきます。ここから西港へ歩いて行く事も可能ですが山道になっており、港へは約2時間かかりました。目印は慰霊碑の少し先に川でいう所の中洲みたいな場所で黄色いガードレールと赤い警告看板が目印(グーグルの航空写真で中州の手前にある小さく森を切り開いている所が慰霊碑、神名崎と表示された文字の左)慰霊碑の位置は船の客室にある地図でも見れます。
場所:平群島
住所:山口県柳井市平郡
最寄の港:平群東港(説明文参照)
使用モデル
pafeさん 若葉
mitoさん 花束と草花5種
甘酒さん 打ち水セット
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2016-08-08 19:06
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