対馬藩 宗夫婦
小西行長の娘、マリアが対馬藩宗義智に嫁いだお話です。
マリアが子どもを産むのは1600年の関ヶ原前後と言われ、西軍に与していた父行長は敗北、斬首の刑に。
徳川からの処罰を恐れた対馬藩はマリアと子どもを離縁追放。
追放後、残念ながら2人は一緒には暮らさず、子どもはセミナリヨにマリアは長崎の教会に隠れ住んでいたが寂しさも祟ってか、追放から5年後にマリアは他界してしまうのでした。
子どもはその後、海外に渡って司祭になり、日本に秘密裏に帰国し布教して捕らえられ処刑された小西マンショと言われている。
マリアが子どもを産むのは1600年の関ヶ原前後と言われ、西軍に与していた父行長は敗北、斬首の刑に。
徳川からの処罰を恐れた対馬藩はマリアと子どもを離縁追放。
追放後、残念ながら2人は一緒には暮らさず、子どもはセミナリヨにマリアは長崎の教会に隠れ住んでいたが寂しさも祟ってか、追放から5年後にマリアは他界してしまうのでした。
子どもはその後、海外に渡って司祭になり、日本に秘密裏に帰国し布教して捕らえられ処刑された小西マンショと言われている。
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2016-10-09 15:09
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