復讐の旅路の果てに~ソ連軍女性戦車兵マリア・オクチャブリスカヤ
マリア・ワシリーィエヴァ・オクチャブリスカヤは第二次世界大戦時におけるソ連軍戦車兵。
独ソ戦により夫と子供たちすべてを失った彼女は、残された全財産を処分してTー34戦車を国家に寄付すると、自らは37歳にして戦車兵として軍に志願し、戦場に赴いた。
この際、一介の主婦でしかない中年女性を戦車兵として受け入れることを軍は渋ったが、マリアが命がけで送った直訴状に感銘を受けたスターリンから特別命令を受けて、オムスク戦車学校への入学を許可したという。
戦場に出たマリアの戦闘スタイルは冷静にして獰猛であり、1943年に惹起したスモレンスク奪還戦ではTー34の機動性を生かした不整地からの大胆な攻撃により、数多くのドイツ軍戦車を撃破したという。
その野獣のような戦いぶりの一方で、戦車から降りたマリアは「戦場の母」として、負傷兵の治療や身の回りの世話、またはよき相談役として多くの戦友達の為に奉仕したとも伝えられる。
しかし戦場の母が復讐を完遂することは、ついにならなかった。
1944年1月、ドイツ軍の陣地を攻撃中の彼女の乗るTー34は砲塔部に徹甲弾を受けて撃破されてしまう。(ドイツ軍の戦車か対戦車砲によるものか諸説あり)爆発炎上だけは避けられたのか、一度は戦友に助け出されるも重傷を負った彼女は約2か月生死を彷徨ったのちに永眠した。
後に彼女は祖国から「ソビエト連邦英雄」の称号を受け、彼女が活躍したスモンレスク郊外の墓地に埋葬されたという。
追伸:いつも渋や静画で応援してくれている骨折入院中の兄貴に贈るものである。
独ソ戦により夫と子供たちすべてを失った彼女は、残された全財産を処分してTー34戦車を国家に寄付すると、自らは37歳にして戦車兵として軍に志願し、戦場に赴いた。
この際、一介の主婦でしかない中年女性を戦車兵として受け入れることを軍は渋ったが、マリアが命がけで送った直訴状に感銘を受けたスターリンから特別命令を受けて、オムスク戦車学校への入学を許可したという。
戦場に出たマリアの戦闘スタイルは冷静にして獰猛であり、1943年に惹起したスモレンスク奪還戦ではTー34の機動性を生かした不整地からの大胆な攻撃により、数多くのドイツ軍戦車を撃破したという。
その野獣のような戦いぶりの一方で、戦車から降りたマリアは「戦場の母」として、負傷兵の治療や身の回りの世話、またはよき相談役として多くの戦友達の為に奉仕したとも伝えられる。
しかし戦場の母が復讐を完遂することは、ついにならなかった。
1944年1月、ドイツ軍の陣地を攻撃中の彼女の乗るTー34は砲塔部に徹甲弾を受けて撃破されてしまう。(ドイツ軍の戦車か対戦車砲によるものか諸説あり)爆発炎上だけは避けられたのか、一度は戦友に助け出されるも重傷を負った彼女は約2か月生死を彷徨ったのちに永眠した。
後に彼女は祖国から「ソビエト連邦英雄」の称号を受け、彼女が活躍したスモンレスク郊外の墓地に埋葬されたという。
追伸:いつも渋や静画で応援してくれている骨折入院中の兄貴に贈るものである。
第二次世界大戦
World War II
独ソ戦
dokusosenn
マリア・オクチャブリスカヤ
T-34
軍人
soldier
ソ連軍
Soviet Army
軍事
military affairs
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2017-01-15 22:23
Comments (14)
スモレンスクということは...彼女の奮闘は少年期のガガーリンも見てたかもしれませんなあ
View Replies女性兵士がラノベばりの獅子奮迅の活躍する赤軍は男女平等の極み(極論) でも死傷率も男女平等なので哀しいなぁ…
View Replies彼女の他にアレクサンドラ・サムシェンコも戦車で戦ったとして有名っすね!マリヤ・ボロヴィチェンコやゾーヤ・コスモデミヤンスカヤ、マンシューク・マメトヴァ等ソ連での女性兵士は大活躍してますねぇ!! 入院中の方に描いてあげるとはロシアの大陸のように広くアメリカのように力強いっすね~
View Repliesせめて生き残れば…
View Repliesリアル戦車道ナリ!ソ連の女性兵士は最初は馬鹿にされてたって聞いた事があるナリよ…そういや十代のソ連の衛生兵が凄い活躍をしたって聞いたけど名前忘れたナリ…
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