伊東祐兵 いとうすけたか~オリジナル~
伊東 祐兵
(いとう すけたか または すけたけ)
日向伊東氏12代(伊東氏18代)当主。
日向国飫肥藩初代藩主。
伊東氏中興の祖。
日向 伊東氏は 「曾我兄弟の仇討ち」で知られる工藤祐経の子伊東祐時が、鎌倉幕府から日向の地頭職を与えられて庶家を下向させたことが始まり。
伊東祐兵の父親・義祐は
元亀3年(1572年)、木崎原の戦いで島津義弘に敗北したことを契機に、伊東氏は衰退し始めた。
天正5年(1577年)、島津氏に耐えられなくなった義祐は日向を追われて、流浪した末に堺にて死去したという。
義祐の三男・伊東祐兵は中央に逃れて羽柴秀吉の家臣となり、天正15年(1587年)の九州平定で先導役を務め上げた功績を認められ、日向に大名として復活。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、祐兵は病の身であったため、家臣を代理として東軍送りその功績により所領を安堵、以後、伊東氏は江戸時代を通じて廃藩置県まで飫肥藩として存続することとなった。
(いとう すけたか または すけたけ)
日向伊東氏12代(伊東氏18代)当主。
日向国飫肥藩初代藩主。
伊東氏中興の祖。
日向 伊東氏は 「曾我兄弟の仇討ち」で知られる工藤祐経の子伊東祐時が、鎌倉幕府から日向の地頭職を与えられて庶家を下向させたことが始まり。
伊東祐兵の父親・義祐は
元亀3年(1572年)、木崎原の戦いで島津義弘に敗北したことを契機に、伊東氏は衰退し始めた。
天正5年(1577年)、島津氏に耐えられなくなった義祐は日向を追われて、流浪した末に堺にて死去したという。
義祐の三男・伊東祐兵は中央に逃れて羽柴秀吉の家臣となり、天正15年(1587年)の九州平定で先導役を務め上げた功績を認められ、日向に大名として復活。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、祐兵は病の身であったため、家臣を代理として東軍送りその功績により所領を安堵、以後、伊東氏は江戸時代を通じて廃藩置県まで飫肥藩として存続することとなった。
伊東祐兵
戦国
senngoku
伊東市
itoushi
伊東祐親
奈良屋宗助
narayasousuke
戦国武将達
オリジナル
original
アナログ
traditional
落書き
doodle
5
6
1571
2017-03-02 02:01
Comments (1)
Amazing