小田急のABFM車(特急車・準特急車時代含む)
ABFM車とは、2200・2300・2220・2320形が三菱電機製のABFM-D形制御機器を共通して装備していたことに因むもの。
1959年に小田急初の高性能車として2200形が登場したのを皮切りに特急用の2300形(のちに3000形SE車の登場で特急運用から引退して準特急用に改修)、急行用の2220形、準特急用の2320形が相次いで登場。
しかし性能は高かったもののオールM車だったため導入コストも高く、急増する旅客をすべて吸収するには不経済な面が目立つようになった。このため経済性と輸送力を両立した2400形HE車に主役をとって代わられ、また運用の都合やロマンスカーの充実に伴う準特急廃止に伴い1963年までにすべて3扉オールロングシート車2連に統一された(ただし種車に由来する細部の違いは残った)。
その後も1980年代まで主力として活躍、「ブツロク」「ブツ10」などと呼ばれ数編成を組み合わせた長編成で各停から急行に至るまで大活躍したが旅客数の伸びや車両の大型化に押されるようになり、1984年までに全車が引退した。
引退後は2200形の第1編成がそのままの姿で大野工場に長らく保管された(その後再整備のうえ喜多見検車区にて正式保存)ほか各形式が富士急行に移籍して1997年まで活躍、新潟交通にも2220形1編成が移籍して1998年まで活躍した。
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こいつもまた、細かなバリエーションの違いでここまで数が多くなりました。
(^^;
1959年に小田急初の高性能車として2200形が登場したのを皮切りに特急用の2300形(のちに3000形SE車の登場で特急運用から引退して準特急用に改修)、急行用の2220形、準特急用の2320形が相次いで登場。
しかし性能は高かったもののオールM車だったため導入コストも高く、急増する旅客をすべて吸収するには不経済な面が目立つようになった。このため経済性と輸送力を両立した2400形HE車に主役をとって代わられ、また運用の都合やロマンスカーの充実に伴う準特急廃止に伴い1963年までにすべて3扉オールロングシート車2連に統一された(ただし種車に由来する細部の違いは残った)。
その後も1980年代まで主力として活躍、「ブツロク」「ブツ10」などと呼ばれ数編成を組み合わせた長編成で各停から急行に至るまで大活躍したが旅客数の伸びや車両の大型化に押されるようになり、1984年までに全車が引退した。
引退後は2200形の第1編成がそのままの姿で大野工場に長らく保管された(その後再整備のうえ喜多見検車区にて正式保存)ほか各形式が富士急行に移籍して1997年まで活躍、新潟交通にも2220形1編成が移籍して1998年まで活躍した。
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2017-05-08 10:51
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