明日を乗り越える為に必要なもの
ざっす!みんな元気かい!?日曜の夜だけど大丈夫かい?え?大丈夫じゃない?明日仕事・学校が嫌だって!?憂鬱だって!?苦しいだって!?死にたいって!?
うん。まあその気持ち わかるよ!凄くわかる。何故なら私もそんな苦しみを人生で何度も味わって、反芻し続ける常習犯だからね。
でもこの苦しみはわからない人には本当にわからないんだよね。この「明日仕事や学校に行くくらいなら首吊った方がましだ!!」って思っちゃう人の心境。
「なんで?バカなんじゃない?なんで死ぬの?死ぬ気があればなんでも出来るでしょ?」
わからない人のそんな言葉、、、聞き飽きたよ。結局そんな事を言う人は…「明日が嫌で死にたくなる人の気持ちがわからない人」は、総じてバカなんだよ。そもそも。
「死にたくなる人」ってのは基本、頭が良いの。頭が良過ぎるから、これから来る先の未来の事をよく考えて不安になるの。だから自殺したくなる人は、バカにはわからないくらい凄く高度な事をしてるの。だからバカにはバカにされたくないの。わかる?
でもバカな人が悪いという事では無い。
バカな人は所謂比較的先の事をあまり考えれない人。言い換えれば鈍い人。「鈍感力」を持っている。
有史以来…それどころかこの世の生命体全てに共通する法則。それは「単純な生き物ほど強い」という法則。
例えば包丁で指を切って血が出た。敏感な人はあまりの痛さに声を挙げ、涙を流す。しかし鈍感な人はあまり痛みを感じず「痛~」と言いながらも平気そうだ。
ヒョロヒョロの人はワンパンで気絶するが、マッチョは金属バットでどつかれ続けても決して敗けを認めない。
すなわち、鈍感=強い。敏感=弱い。という法則が世の中にある。その証拠に生物学的に見ても、より複雑な動作や思考が出来る多機能な生物より、単細胞のほうが「生命力」が圧倒的に強い。
だからある意味鈍感…単細胞…即ちバカは非常に優れた“生命力の強さ”を持っており、先の事を考えないから不安にならず常に物事を前向きに挑戦することが出来る。一方敏感…複雑…即ち頭の良い人は先の事を余計に考え過ぎて不安を抱え込み過ぎて鬱になってしまうのだ。
だからバカが指摘する
「なんで死ぬの?死ぬ気があればなんでも出来るでしょ?」はある意味半分正解なのだ。死ぬ気があれば…即ち後先考えない単細胞になってしまえば、明日なんて乗りきる事が出来る。そもそも不安とは「しくじらないように自分を集中・緊張状態にする生存本能」であり、生存するための不安・憂鬱で死のうとするなんて本末転倒である。だからある意味「明日が嫌で不安で死にたい…」と思う人はバカである。
でも「明日が嫌で憂鬱な状態の人」にはそんな理屈は通用しない。何故ならこの種の憂鬱は気合いや理屈で回避出来るほど簡単なものではなく、その人の人格の根幹に複雑に絡み合っているような極めて難しく大変なものである。
要するに全ては一長一短。バカはバカだが強い。頭のいい人は先の事まで考える事が出来るが弱い。という法則が成り立つのだ。
ならば日曜の夜である今憂鬱な人は明日、どうすれば明日を乗り越える事が出来るだろうか?
答えは凄まじく単純である。バカの行動を真似れば良い。例えば遅刻する。真面目にやらない。目上の人に逆らう。怒鳴り散らす。
これらは空気が読めない極めてバカがやる行動だが、それと同時にそんな行動は「強い人間のみが出来る行動」だ。
遅刻して、真面目にやらず、逆らい、怒鳴る…それは自己中だ。しかし言い換えれば自己中を振る舞っても大丈夫なほど、周りを圧倒する、周りに負けない「強さ」を持っている証なのだ。
別に明日から他人に不真面目にケンカを売れと言ってる訳じゃない。ようは「そういう強い自己中な成分をほんのちょこっと自分の中に入れるように意識してみる」のはどうかと提案したい。
明日が不安で憂鬱なあなたはようは真面目なのだ。頭が良いから先の事を考え過ぎで気ばかり使う。そして周りや相手に気を使い過ぎて自分をコントロールするための微調整を止めない頑張りやさんなのだ。それは偉い。
でも世の中、かなり適当で自己中で、凄くタチ悪くメチャクチャにしてても上手くいってる奴も沢山いる。そう沢山いるのだ。
そんな奴もいるのだから、真面目なあなたが少しだけ不真面目になってもなんら問題ない。世界の広さからみたら真面目なあなたが意識してやった不真面目さなんて大したものではない。むしろそのあなたのちょこっとした不真面目さすら許さない社会にこそ問題があると私は思う。
だから明日はちょっと不真面目に、自己中に、バカだけど強い人になるよう意識してみよう!
そう考えたら多少は今、楽にならないかい?
世界は大きな法則で成り立っている。そして世界は本当に大きく広い。本当に複雑で、本当に色んなパターンがある。
あなたが今もしあなたが生きている環境の事で辛いのなら、あなたはたぶんこの世界の勉強不足なのだ。
もっと沢山の人にあって、もっと沢山の事を体験するべきだ。そうでないとその毎週の苦しみから抜け出す事は一生できない。
明日が憂鬱な人が救われるためにはまず、強くならなければならない。その為にはまず、勇気を持たなくてはならない。それは明日を頑張る勇気ではない。他人に逆らう勇気でもない。新しい体験や新しい人と出会うための行動始める勇気だ。
私は断言するよ。
苦しみを救うのは経験だ。
沢山の価値観と沢山の世界をしれば本当に今の苦しみなんて面白くも何ともない。色んな事を経験すれば今の生活がつまらないものにしか感じなくなる。
明日の不安すら退屈なものになる。そんな事よりもっと別の事に気を向けれるようになる。
そうなれば それこそが明日に対する「鈍感さ」であり、
それが明日を乗り越える事が出来る「強さ」になる。
大丈夫。誰だっていつかは明日をきっと乗り越えるようになれる。
その為に必要なのは真面目に明日頑張る勇気ではない。
新しい強い自分を手に入れるための冒険をする勇気こそ必要なのだ。
うん。まあその気持ち わかるよ!凄くわかる。何故なら私もそんな苦しみを人生で何度も味わって、反芻し続ける常習犯だからね。
でもこの苦しみはわからない人には本当にわからないんだよね。この「明日仕事や学校に行くくらいなら首吊った方がましだ!!」って思っちゃう人の心境。
「なんで?バカなんじゃない?なんで死ぬの?死ぬ気があればなんでも出来るでしょ?」
わからない人のそんな言葉、、、聞き飽きたよ。結局そんな事を言う人は…「明日が嫌で死にたくなる人の気持ちがわからない人」は、総じてバカなんだよ。そもそも。
「死にたくなる人」ってのは基本、頭が良いの。頭が良過ぎるから、これから来る先の未来の事をよく考えて不安になるの。だから自殺したくなる人は、バカにはわからないくらい凄く高度な事をしてるの。だからバカにはバカにされたくないの。わかる?
でもバカな人が悪いという事では無い。
バカな人は所謂比較的先の事をあまり考えれない人。言い換えれば鈍い人。「鈍感力」を持っている。
有史以来…それどころかこの世の生命体全てに共通する法則。それは「単純な生き物ほど強い」という法則。
例えば包丁で指を切って血が出た。敏感な人はあまりの痛さに声を挙げ、涙を流す。しかし鈍感な人はあまり痛みを感じず「痛~」と言いながらも平気そうだ。
ヒョロヒョロの人はワンパンで気絶するが、マッチョは金属バットでどつかれ続けても決して敗けを認めない。
すなわち、鈍感=強い。敏感=弱い。という法則が世の中にある。その証拠に生物学的に見ても、より複雑な動作や思考が出来る多機能な生物より、単細胞のほうが「生命力」が圧倒的に強い。
だからある意味鈍感…単細胞…即ちバカは非常に優れた“生命力の強さ”を持っており、先の事を考えないから不安にならず常に物事を前向きに挑戦することが出来る。一方敏感…複雑…即ち頭の良い人は先の事を余計に考え過ぎて不安を抱え込み過ぎて鬱になってしまうのだ。
だからバカが指摘する
「なんで死ぬの?死ぬ気があればなんでも出来るでしょ?」はある意味半分正解なのだ。死ぬ気があれば…即ち後先考えない単細胞になってしまえば、明日なんて乗りきる事が出来る。そもそも不安とは「しくじらないように自分を集中・緊張状態にする生存本能」であり、生存するための不安・憂鬱で死のうとするなんて本末転倒である。だからある意味「明日が嫌で不安で死にたい…」と思う人はバカである。
でも「明日が嫌で憂鬱な状態の人」にはそんな理屈は通用しない。何故ならこの種の憂鬱は気合いや理屈で回避出来るほど簡単なものではなく、その人の人格の根幹に複雑に絡み合っているような極めて難しく大変なものである。
要するに全ては一長一短。バカはバカだが強い。頭のいい人は先の事まで考える事が出来るが弱い。という法則が成り立つのだ。
ならば日曜の夜である今憂鬱な人は明日、どうすれば明日を乗り越える事が出来るだろうか?
答えは凄まじく単純である。バカの行動を真似れば良い。例えば遅刻する。真面目にやらない。目上の人に逆らう。怒鳴り散らす。
これらは空気が読めない極めてバカがやる行動だが、それと同時にそんな行動は「強い人間のみが出来る行動」だ。
遅刻して、真面目にやらず、逆らい、怒鳴る…それは自己中だ。しかし言い換えれば自己中を振る舞っても大丈夫なほど、周りを圧倒する、周りに負けない「強さ」を持っている証なのだ。
別に明日から他人に不真面目にケンカを売れと言ってる訳じゃない。ようは「そういう強い自己中な成分をほんのちょこっと自分の中に入れるように意識してみる」のはどうかと提案したい。
明日が不安で憂鬱なあなたはようは真面目なのだ。頭が良いから先の事を考え過ぎで気ばかり使う。そして周りや相手に気を使い過ぎて自分をコントロールするための微調整を止めない頑張りやさんなのだ。それは偉い。
でも世の中、かなり適当で自己中で、凄くタチ悪くメチャクチャにしてても上手くいってる奴も沢山いる。そう沢山いるのだ。
そんな奴もいるのだから、真面目なあなたが少しだけ不真面目になってもなんら問題ない。世界の広さからみたら真面目なあなたが意識してやった不真面目さなんて大したものではない。むしろそのあなたのちょこっとした不真面目さすら許さない社会にこそ問題があると私は思う。
だから明日はちょっと不真面目に、自己中に、バカだけど強い人になるよう意識してみよう!
そう考えたら多少は今、楽にならないかい?
世界は大きな法則で成り立っている。そして世界は本当に大きく広い。本当に複雑で、本当に色んなパターンがある。
あなたが今もしあなたが生きている環境の事で辛いのなら、あなたはたぶんこの世界の勉強不足なのだ。
もっと沢山の人にあって、もっと沢山の事を体験するべきだ。そうでないとその毎週の苦しみから抜け出す事は一生できない。
明日が憂鬱な人が救われるためにはまず、強くならなければならない。その為にはまず、勇気を持たなくてはならない。それは明日を頑張る勇気ではない。他人に逆らう勇気でもない。新しい体験や新しい人と出会うための行動始める勇気だ。
私は断言するよ。
苦しみを救うのは経験だ。
沢山の価値観と沢山の世界をしれば本当に今の苦しみなんて面白くも何ともない。色んな事を経験すれば今の生活がつまらないものにしか感じなくなる。
明日の不安すら退屈なものになる。そんな事よりもっと別の事に気を向けれるようになる。
そうなれば それこそが明日に対する「鈍感さ」であり、
それが明日を乗り越える事が出来る「強さ」になる。
大丈夫。誰だっていつかは明日をきっと乗り越えるようになれる。
その為に必要なのは真面目に明日頑張る勇気ではない。
新しい強い自分を手に入れるための冒険をする勇気こそ必要なのだ。
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2017-07-23 21:25
Comments (9)
素晴らしい考え!!僕は鬱病持ちなんですけど少しこうじゃなきゃいけないとか完璧主義者の所があるんですけど「鈍感さ」の大切さと「経験の少なさ」視野の狭さに気付きました!
View Replies困難な仕事を通してあなたの方法を戦い、良い結果を見つける。 マッチョでさえ疑いと恐怖を感じるかもしれませんが、彼は失うものは何もなく、勝つためにすべてがあります。
View Replies恐怖と悲観はあなたが人生で戦っているときの反応です。それは愚かな気持ちではありません。 しかし、あなたは止めることはできません、あなたは分析し、それを克服する必要があります。
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