ARA RIVADAVIA
戦艦リバダビア
■アメリカ式の籠マストと新設計主砲、缶室の間を離すフランス式配置、イギリス式の探照灯を挟んだ梯形配置、ドイツ式三軸推進、オーストリア=ハンガリーの戦艦に類する艦底装甲。宿敵ブラジルのミナス・ジェライス級に対抗すべく生まれたそれは、列強各国の設計を集めた優秀な弩級戦艦であった。
世界大戦に参戦しなかったアルゼンチンにおいて、彼女が参加した任務のひとつが「コモドーロ・リバダビアでのストライキ鎮圧支援」だったのは皮肉だろうか(コモドーロ・リバダビアは彼女の名に冠されたベルナルディーノ・リバダビアの祖父から名を取られた都市)。
1937年には妹の「モレノ」がジョージ6世戴冠記念観艦式に参加、自身もフランスを訪問。その後も近代化改修を施されながらモレノとともに長く海軍の旗艦として任務に就いたが、1957年に退役。スクラップとして売却され、その資金は空母「インデペンデンシア」の購入に充てられた。プエルト・ベルグラノの埠頭に入るインデペンデンシアの姿は、まさしく戦艦から空母への時代の変化を象徴するものであった。
■満を持しての…と言えるかどうかわからんですが戦艦リバダビア。ああしかし、今までと違って日付が特に関係ない……けどいいですよね日付名の艦ではないし…。煙突と探照灯台をツインタワー的にしたかったんだけど、これどうやって繋がってるんだろう。特に互い違いの探照灯台。まあいいや(
なお、資料がなさすぎてネットでかき集めた写真や図面を元に描いているのできっと各部年代ばらばらの寄せ集めです。メカ部分の資料的価値は皆無です。
戦艦から空母への交代劇という観点では、彼女もなかなかの艦歴を持つ戦艦ではないでしょうか。
余談ですが先代の装甲巡洋艦「リバダビア」は完成前に日本に売却されて「春日」として日露戦争を戦い抜き、第二次大戦末期まで海上にありました。
■アメリカ式の籠マストと新設計主砲、缶室の間を離すフランス式配置、イギリス式の探照灯を挟んだ梯形配置、ドイツ式三軸推進、オーストリア=ハンガリーの戦艦に類する艦底装甲。宿敵ブラジルのミナス・ジェライス級に対抗すべく生まれたそれは、列強各国の設計を集めた優秀な弩級戦艦であった。
世界大戦に参戦しなかったアルゼンチンにおいて、彼女が参加した任務のひとつが「コモドーロ・リバダビアでのストライキ鎮圧支援」だったのは皮肉だろうか(コモドーロ・リバダビアは彼女の名に冠されたベルナルディーノ・リバダビアの祖父から名を取られた都市)。
1937年には妹の「モレノ」がジョージ6世戴冠記念観艦式に参加、自身もフランスを訪問。その後も近代化改修を施されながらモレノとともに長く海軍の旗艦として任務に就いたが、1957年に退役。スクラップとして売却され、その資金は空母「インデペンデンシア」の購入に充てられた。プエルト・ベルグラノの埠頭に入るインデペンデンシアの姿は、まさしく戦艦から空母への時代の変化を象徴するものであった。
■満を持しての…と言えるかどうかわからんですが戦艦リバダビア。ああしかし、今までと違って日付が特に関係ない……けどいいですよね日付名の艦ではないし…。煙突と探照灯台をツインタワー的にしたかったんだけど、これどうやって繋がってるんだろう。特に互い違いの探照灯台。まあいいや(
なお、資料がなさすぎてネットでかき集めた写真や図面を元に描いているのできっと各部年代ばらばらの寄せ集めです。メカ部分の資料的価値は皆無です。
戦艦から空母への交代劇という観点では、彼女もなかなかの艦歴を持つ戦艦ではないでしょうか。
余談ですが先代の装甲巡洋艦「リバダビア」は完成前に日本に売却されて「春日」として日露戦争を戦い抜き、第二次大戦末期まで海上にありました。
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2017-10-29 10:52
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