ナースホルン from Warthunder
「スズメバチじゃないよ~。サイだよ、犀! そっちのほうが強そうでしょ? ねっ?閣下♪」
イメージモデルはドイツの「ナースホルン/8,8 Pak 43/1 Sf. Nashorn」
「Warthunder」では駆逐戦車とされている。
1941年に開始された独ソ戦で、ドイツ軍はソビエト軍のT-34中戦車やKV-1重戦車のような防御力に優れた敵に直面した。
それ以前にもフランス侵攻の際にルノーB1重戦車のような重装甲の戦車は存在したが、配備数も少なく分散配置されていたため問題とされなかった。独ソ戦において最もドイツ軍を苦しめたのは、苦労して取り囲んでようやく1輌破壊できた頃にはさらに多くの敵戦車が姿を現していることだった。
これを受け、重装甲の戦車でも確実に仕留められるよう強力な火砲を持つ自走砲の開発が望まれた。1941年10月、主砲には当時完成間近であった88㎜対戦車砲(8.8 cm PaK 43)の搭載をヒトラー総統が指示。すでに完成していたⅢ号戦車とⅣ号戦車のシャーシを統合し自走砲用として開発した車体に、8.8 cm PaK 43/41(前述の対戦車砲と同じ砲身を用いた砲)をベースにしたPaK 43/1が搭載された。
すぐさま試験にかけられた試作車両は、タングステン・カーバイドを弾芯とした硬芯徹甲弾(Pzgr. 40/43)での射撃で、1,000m先から30度の侵入角でも190mmの貫徹力を示した。これによって敵戦車の射程外からの射撃(アウトレンジ攻撃)で重戦車を確実に撃破可能な火力を持ち合わせることとなった。
反面、防御力は切り捨てざるを得なかった。強力な火砲はどうしても重量が嵩み、その分の重量は装甲を削ることとなる。オープントップの戦闘室は周囲10mm程度の装甲しか持たず、機銃弾や至近弾の爆風にも耐えることは難しいため、乗員はほぼ無防備と言っても過言ではなかった。しかしながら本車輌の攻撃理念はあくまで「敵の手の届かない場所から一方的に相手を破壊する」ことであり、運用さえ誤りがなければ問題ないとされた。
1943年2月に試作車が完成。同年5月までに100輌の生産が命じられ、正式名称の他に「ホルニッセ(Hornisse/独語でスズメバチの意)」という名で呼ばれたが、翌年1944年2月末に総統ヒトラーの命令によって「ナースホルン(Nashorn/独語でサイの意)」と改名された。これはヒトラーが虫が嫌いであったためとも言われる。
終戦の1945年までに494輌が生産され、各地の重戦車駆逐大隊に配備された。初陣は1943年のクルスクの戦いで、開けた平地の多いロシアでのアウトレンジ攻撃は有効であり、信頼性の高い光学照準器と高威力かつ低伸性の良い主砲の弾道特性、広い射角によって優位な射撃位置を得た際には一方的に攻撃が可能であった。
後にⅣ号駆逐戦車やヤークトパンター等の防御力にも優れた駆逐戦車が登場した後も運用は続けられ、終戦まで攻め寄せる敵戦車を次々と破壊し続けた。
イメージモデルはドイツの「ナースホルン/8,8 Pak 43/1 Sf. Nashorn」
「Warthunder」では駆逐戦車とされている。
1941年に開始された独ソ戦で、ドイツ軍はソビエト軍のT-34中戦車やKV-1重戦車のような防御力に優れた敵に直面した。
それ以前にもフランス侵攻の際にルノーB1重戦車のような重装甲の戦車は存在したが、配備数も少なく分散配置されていたため問題とされなかった。独ソ戦において最もドイツ軍を苦しめたのは、苦労して取り囲んでようやく1輌破壊できた頃にはさらに多くの敵戦車が姿を現していることだった。
これを受け、重装甲の戦車でも確実に仕留められるよう強力な火砲を持つ自走砲の開発が望まれた。1941年10月、主砲には当時完成間近であった88㎜対戦車砲(8.8 cm PaK 43)の搭載をヒトラー総統が指示。すでに完成していたⅢ号戦車とⅣ号戦車のシャーシを統合し自走砲用として開発した車体に、8.8 cm PaK 43/41(前述の対戦車砲と同じ砲身を用いた砲)をベースにしたPaK 43/1が搭載された。
すぐさま試験にかけられた試作車両は、タングステン・カーバイドを弾芯とした硬芯徹甲弾(Pzgr. 40/43)での射撃で、1,000m先から30度の侵入角でも190mmの貫徹力を示した。これによって敵戦車の射程外からの射撃(アウトレンジ攻撃)で重戦車を確実に撃破可能な火力を持ち合わせることとなった。
反面、防御力は切り捨てざるを得なかった。強力な火砲はどうしても重量が嵩み、その分の重量は装甲を削ることとなる。オープントップの戦闘室は周囲10mm程度の装甲しか持たず、機銃弾や至近弾の爆風にも耐えることは難しいため、乗員はほぼ無防備と言っても過言ではなかった。しかしながら本車輌の攻撃理念はあくまで「敵の手の届かない場所から一方的に相手を破壊する」ことであり、運用さえ誤りがなければ問題ないとされた。
1943年2月に試作車が完成。同年5月までに100輌の生産が命じられ、正式名称の他に「ホルニッセ(Hornisse/独語でスズメバチの意)」という名で呼ばれたが、翌年1944年2月末に総統ヒトラーの命令によって「ナースホルン(Nashorn/独語でサイの意)」と改名された。これはヒトラーが虫が嫌いであったためとも言われる。
終戦の1945年までに494輌が生産され、各地の重戦車駆逐大隊に配備された。初陣は1943年のクルスクの戦いで、開けた平地の多いロシアでのアウトレンジ攻撃は有効であり、信頼性の高い光学照準器と高威力かつ低伸性の良い主砲の弾道特性、広い射角によって優位な射撃位置を得た際には一方的に攻撃が可能であった。
後にⅣ号駆逐戦車やヤークトパンター等の防御力にも優れた駆逐戦車が登場した後も運用は続けられ、終戦まで攻め寄せる敵戦車を次々と破壊し続けた。
兵器擬人化
anthropomorphic weapon
擬人化
gijinka
戦車
tank
Warthunder
ナースホルン
na-suhorunn
へそ
navel
ストッキング
stockings
12
20
1233
2018-02-17 18:23
Comments (2)
黒パンストのミリタリー女子\(^o^)/
ドイツ戦車ツリーより「ナースホルン」です。 ナース…いいぞ、これだ!>(ナースホルンの意味を調べる)>サイってなんだよ…サイ娘、いけるか!?>いけませんでした。 よろしくお願いします。