仏教に深く帰依した天皇
長屋王の変の頃の父娘。聖武天皇29歳、阿倍内親王(孝謙天皇)11歳。
天平12年(740)に聖武天皇は河内国大県郡の知識寺に行幸し、知識(財物や労力を仏事のために提供し功徳に預かろうとする人、寄進した資材や結縁の団体、またそうした行為や意思のことも指す)の力で造り上げた寺と盧舎那仏に感動し、自分も知識の力で大仏を造顕したいと思ったのでした。
聖武天皇は天平15年10月15日に大仏発願の詔を発する。
「自分は天下の富と勢を持っている。この富と勢を持って尊き大仏を造る事は容易いかもしれないが、願いが成就し難い。ただいたずらに人を苦労させるだけでは、聖の教えを感じることなく、あるいは誹謗を生じてかえって罪に陥る。これゆえに大仏造立の事業に参加する人は心から成る誠意を持って、自ら進んでこのような趣旨を理解し、各々大仏を造るべし。もし更に、一枝の草一把の土を持って像を助け作ろうとする者がいるなら、欲するままに許す」
自分は天皇であるから富も力も持っている。自分だけで大仏を造ることも出来る。しかしそうではなくて知識が集まって協力して、一枝の草一握りの土でもいいから資材を持ち寄ってみんなで造ろうではないか。
権力者が建てるのではない、みんなで建てるのだと民衆に呼びかけました。古代の権力者としては斬新な発想でした。
いくつかの行動は未だに謎に包まれているし、行動が予測できなくて興味の尽きない二人です。
天平12年(740)に聖武天皇は河内国大県郡の知識寺に行幸し、知識(財物や労力を仏事のために提供し功徳に預かろうとする人、寄進した資材や結縁の団体、またそうした行為や意思のことも指す)の力で造り上げた寺と盧舎那仏に感動し、自分も知識の力で大仏を造顕したいと思ったのでした。
聖武天皇は天平15年10月15日に大仏発願の詔を発する。
「自分は天下の富と勢を持っている。この富と勢を持って尊き大仏を造る事は容易いかもしれないが、願いが成就し難い。ただいたずらに人を苦労させるだけでは、聖の教えを感じることなく、あるいは誹謗を生じてかえって罪に陥る。これゆえに大仏造立の事業に参加する人は心から成る誠意を持って、自ら進んでこのような趣旨を理解し、各々大仏を造るべし。もし更に、一枝の草一把の土を持って像を助け作ろうとする者がいるなら、欲するままに許す」
自分は天皇であるから富も力も持っている。自分だけで大仏を造ることも出来る。しかしそうではなくて知識が集まって協力して、一枝の草一握りの土でもいいから資材を持ち寄ってみんなで造ろうではないか。
権力者が建てるのではない、みんなで建てるのだと民衆に呼びかけました。古代の権力者としては斬新な発想でした。
いくつかの行動は未だに謎に包まれているし、行動が予測できなくて興味の尽きない二人です。
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2018-07-20 22:14
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