幻のフォッカージェット
重箱の隅をつつくようなネタチョイスでこんばんわ
世界各地に残るローカル線の老朽機、DC-3をフォッカーF27フレンドシップで置き換えることに少なからぬ成功を残したフォッカー社は、
世界の趨勢からこれら短距離ローカル線にもジェット化が進むと目論見、短距離用の小型ジェット機を1967年に初飛行させた
低主翼、T字尾翼で胴体後部にエンジン2発を搭載した短距離機としてはオーソドックスな形態
既に古くはカラベルで、直近ではダグラスDC-9、BAC1-11で大成していた
しかし、設計思想の幾分新しく、ローカル線でのジェット機運用も進みつつあった本機の設計時には、
これらに有利に働くように内蔵式の自動タラップやSTOL性能に長けるスピードブレーキ等真新しい装備が追加され、他機とは一線を画した
フェローシップを名付けられた機体は短胴型に始まり、胴体延長型、航続距離延長型など数種の派生が行われ1987年までに241機が製造された
我が国でも老朽化したYS-11の置き換え用として全日空、東亜国内向けに来日しデモを行ったが、
2社ともYSを引き続き使い続け、それ以外については従来から私用されていたB737やDC-9でローカル線を代替した
日本へのセールスは失敗したが、F28の製造は好調で1983年には将来を見越して大幅に性能を向上させた後継機の開発が始まった
胴体をさらに延長し、100席級とし、エンジンやアビオニクスを更新。90年代に向けて遜色ない新生F28は「フォッカー100」と名付けられ1988年から就航した
それまでF28を使用していたユーザーはこれの代替としてフォッカー100の導入を進め、また新たな多くの航空会社も本機のユーザーに加わった
80年代から90年代にかけては、F28の時以上に日本の国内線におけるYS-11などの老朽化が深刻化しており、航空会社は以前にもまして後継の必要にかられていた
この機に上じたフォッカー社は大変な熱の入れようで、フォッカー100に実際に当時国内ローカル線を運行していたエアーニッポンにタイトルを入れた機体を用意。受注を猛アピールしたが、エアーニッポンはこれになびかず、737の性能向上型-500を導入するというつまらない結果となってしまった
「IF」は無いが、日本のローカル空港の整備がもう少し進んでおり、全日空がF28を発注していたら、その子会社たるエアーニッポンはフォッカー100を導入していたかもしれない
フォッカー社が製作したデモ用の機体はホワイトボディの片面に「ANK」ロゴとエアーニッポンの社名が入っていただけだったが、正式導入していればもちろんブルーのストライプを纏った姿になっていただろう
最初はANKロゴで、ブランド統一後はANAロゴで日本のローカル線に飛んでいたに違いない
そんな想いでエアーニッポンカラーのフォッカー100を描いてみた
全日空はかつて、F27フレンドシップを当時全世界最多の25機を運航し、その功績によりオランダ政府から感謝状まで授与された
使用期間中に大きな事故はあったが、死亡事故なし、事故による登録抹消なしという記録を打ち立てた全日空なら
当然後継機のF28を導入するだろう、そんな驕りが商談的にはフォッカー社にはあったんじゃないかな?と、思っている
もっと、あのとき、フォッカー社ががんばっていれば、日本のローカル線にフォッカージェットが食い込む余地はあったはずなのだ
世界各地に残るローカル線の老朽機、DC-3をフォッカーF27フレンドシップで置き換えることに少なからぬ成功を残したフォッカー社は、
世界の趨勢からこれら短距離ローカル線にもジェット化が進むと目論見、短距離用の小型ジェット機を1967年に初飛行させた
低主翼、T字尾翼で胴体後部にエンジン2発を搭載した短距離機としてはオーソドックスな形態
既に古くはカラベルで、直近ではダグラスDC-9、BAC1-11で大成していた
しかし、設計思想の幾分新しく、ローカル線でのジェット機運用も進みつつあった本機の設計時には、
これらに有利に働くように内蔵式の自動タラップやSTOL性能に長けるスピードブレーキ等真新しい装備が追加され、他機とは一線を画した
フェローシップを名付けられた機体は短胴型に始まり、胴体延長型、航続距離延長型など数種の派生が行われ1987年までに241機が製造された
我が国でも老朽化したYS-11の置き換え用として全日空、東亜国内向けに来日しデモを行ったが、
2社ともYSを引き続き使い続け、それ以外については従来から私用されていたB737やDC-9でローカル線を代替した
日本へのセールスは失敗したが、F28の製造は好調で1983年には将来を見越して大幅に性能を向上させた後継機の開発が始まった
胴体をさらに延長し、100席級とし、エンジンやアビオニクスを更新。90年代に向けて遜色ない新生F28は「フォッカー100」と名付けられ1988年から就航した
それまでF28を使用していたユーザーはこれの代替としてフォッカー100の導入を進め、また新たな多くの航空会社も本機のユーザーに加わった
80年代から90年代にかけては、F28の時以上に日本の国内線におけるYS-11などの老朽化が深刻化しており、航空会社は以前にもまして後継の必要にかられていた
この機に上じたフォッカー社は大変な熱の入れようで、フォッカー100に実際に当時国内ローカル線を運行していたエアーニッポンにタイトルを入れた機体を用意。受注を猛アピールしたが、エアーニッポンはこれになびかず、737の性能向上型-500を導入するというつまらない結果となってしまった
「IF」は無いが、日本のローカル空港の整備がもう少し進んでおり、全日空がF28を発注していたら、その子会社たるエアーニッポンはフォッカー100を導入していたかもしれない
フォッカー社が製作したデモ用の機体はホワイトボディの片面に「ANK」ロゴとエアーニッポンの社名が入っていただけだったが、正式導入していればもちろんブルーのストライプを纏った姿になっていただろう
最初はANKロゴで、ブランド統一後はANAロゴで日本のローカル線に飛んでいたに違いない
そんな想いでエアーニッポンカラーのフォッカー100を描いてみた
全日空はかつて、F27フレンドシップを当時全世界最多の25機を運航し、その功績によりオランダ政府から感謝状まで授与された
使用期間中に大きな事故はあったが、死亡事故なし、事故による登録抹消なしという記録を打ち立てた全日空なら
当然後継機のF28を導入するだろう、そんな驕りが商談的にはフォッカー社にはあったんじゃないかな?と、思っている
もっと、あのとき、フォッカー社ががんばっていれば、日本のローカル線にフォッカージェットが食い込む余地はあったはずなのだ
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2018-10-01 21:42
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