【辻谷耕史さん】キンケドゥ・ラブ【ありがとうございました】
今までも、これからも、ずっと辻谷さんが大好きです!
※下の文は2018年10月24日のブログに書いたものをそのまま載せました
「辻谷耕史さん」
亡くなっていた、56歳だった。
それを知ったのはツイッターだった。
1人のフォロワーさんが「辻谷さんの件デマであってくれ…」とタイミングよく呟いていた。
きっと私が浮上してきたのを目撃したからだろう。
何の事かと急いで調べ出す。
最近、また夢を見るようになったから大体良くない事が起きる前兆なのは理解していたし、もう夢の内容は泣きすぎて覚えていないけど、あまりよくない事だったのは確かだった。
今の時代、調べると大体はすぐにわかる。
嘘であってほしいと、公式の言葉がないのに決めつけるのは良くないと、自分に言い聞かせても涙は出るし、周りはお悔みモードで仕舞には「嘘だと言ってよバーニィ」を言い出すしで訳が解らなくなった。
うるせー黙れー!冗談でもこの状況でバーニィ出すな!でも情報が欲しい私はご飯も食べずにツイッターに張り付いていたら辻谷さんが主人公を務めた無責任艦長タイラーの監督さんが呟いた。
本当に辻谷耕史さんはもうこの世にはいないと理解した瞬間だった。
そこから一気にタイムラインはお悔みモードましましになる訳なのだけど私も気持ちが落ち着かなくて呟く事で気を保っていた。
人には人それぞれの想いや物の使い方があるからそれもまた一つで。
辻谷さんのキャラを思い出せば色々出て来るのは辻谷さんを知って10年近く愛していた方だから、と言うのもあるし、キンケドゥさんが一番に出て来る。
シーブックも大好きだしたくさんのきっかけになったのはあるけど私はやっぱりキンケドゥさんだな、と思った。
キンケドゥさんとの出会いはエクバ稼働当初、クロスボーンを知らない私はバーサスシリーズ初期から遊んでいるので遊ぶ側としては新しくなったバーサスシリーズは触りたい!そんな気持ちでゲームセンターに向かった。
その頃はまだ学生だったし、ゲーセンにも行ける身体だったから(今は事故に合ってしまって後遺症が酷くてあまり行けない)稼働して数日経ってからにはなったけど足を運んだ。
田舎のゲーセンだし時間帯も早い時間だったから12台あるのに人がそんなに座っていなかった。
100円を入れてから機体を選ぶ、多すぎる、何だこれ。
最初はいつも通り3号機にしようと探してたら多すぎて見つからなかったのもあるし、初期ガンダムから右に行けば年数通りにシリーズが並んでいるのはガンネクで知っていたので逆走をすることで0083に近道をしようとした。
その時にクロスボーン・ガンダムを初めて見た。
ドクロマークがカッコ良くて驚いたし、マントのガンダムって何だこれ!?状態だった。
パイロットのキャラ絵もカッコ良かった、青髪に惹かれた。
それにその時はまだX2がいなかった。
選ぶ時間もないしこれかっこいいし使ってみよう!選んでみた。
めっちゃかっこよかった。
そこから私はキンケドゥさんに夢中になる。一目惚れだった。
声もかっこいい、セリフもかっこいい。
それに宇宙海賊ってカッコ良さの塊でしかなかった。
そしてその後にX2がリリースされてザビーネも知って、キンケドゥさん好き過ぎだろコイツ!からザビキンが始まった。
ちなみにシーブック=キンケドゥを知るのは少し先の話。
事故の時に頭を打ったせいで思い出すことが難しくなった今でもこのX1を使った日の事はちゃんと覚えているので感覚的にも気持ち的にも忘れられない日だったのは間違えないです。
ちなみにX2を初めて使った日は覚えていません、この差である。
それに辻谷さんには前にも書いた様な気がするのですが、ツイッターで送った手描き動画に反応を頂いてたりして、遠くの世界の方なのに本当に近所にいるおじさん並に優しくして頂いて、すごく嬉しかったですしこの事は忘れませんし、私の記憶の宝物です。
語り出せば止まらなくなるし、涙は出るしで収拾がつかなくなるのでここまでにします。
お悔みとかご冥福のレベルじゃないので言いませんし、言いたくもないし、辻谷さんに伝えたいことは
「今まで本当にありがとうございました。これからもずっと大好きです。」
※下の文は2018年10月24日のブログに書いたものをそのまま載せました
「辻谷耕史さん」
亡くなっていた、56歳だった。
それを知ったのはツイッターだった。
1人のフォロワーさんが「辻谷さんの件デマであってくれ…」とタイミングよく呟いていた。
きっと私が浮上してきたのを目撃したからだろう。
何の事かと急いで調べ出す。
最近、また夢を見るようになったから大体良くない事が起きる前兆なのは理解していたし、もう夢の内容は泣きすぎて覚えていないけど、あまりよくない事だったのは確かだった。
今の時代、調べると大体はすぐにわかる。
嘘であってほしいと、公式の言葉がないのに決めつけるのは良くないと、自分に言い聞かせても涙は出るし、周りはお悔みモードで仕舞には「嘘だと言ってよバーニィ」を言い出すしで訳が解らなくなった。
うるせー黙れー!冗談でもこの状況でバーニィ出すな!でも情報が欲しい私はご飯も食べずにツイッターに張り付いていたら辻谷さんが主人公を務めた無責任艦長タイラーの監督さんが呟いた。
本当に辻谷耕史さんはもうこの世にはいないと理解した瞬間だった。
そこから一気にタイムラインはお悔みモードましましになる訳なのだけど私も気持ちが落ち着かなくて呟く事で気を保っていた。
人には人それぞれの想いや物の使い方があるからそれもまた一つで。
辻谷さんのキャラを思い出せば色々出て来るのは辻谷さんを知って10年近く愛していた方だから、と言うのもあるし、キンケドゥさんが一番に出て来る。
シーブックも大好きだしたくさんのきっかけになったのはあるけど私はやっぱりキンケドゥさんだな、と思った。
キンケドゥさんとの出会いはエクバ稼働当初、クロスボーンを知らない私はバーサスシリーズ初期から遊んでいるので遊ぶ側としては新しくなったバーサスシリーズは触りたい!そんな気持ちでゲームセンターに向かった。
その頃はまだ学生だったし、ゲーセンにも行ける身体だったから(今は事故に合ってしまって後遺症が酷くてあまり行けない)稼働して数日経ってからにはなったけど足を運んだ。
田舎のゲーセンだし時間帯も早い時間だったから12台あるのに人がそんなに座っていなかった。
100円を入れてから機体を選ぶ、多すぎる、何だこれ。
最初はいつも通り3号機にしようと探してたら多すぎて見つからなかったのもあるし、初期ガンダムから右に行けば年数通りにシリーズが並んでいるのはガンネクで知っていたので逆走をすることで0083に近道をしようとした。
その時にクロスボーン・ガンダムを初めて見た。
ドクロマークがカッコ良くて驚いたし、マントのガンダムって何だこれ!?状態だった。
パイロットのキャラ絵もカッコ良かった、青髪に惹かれた。
それにその時はまだX2がいなかった。
選ぶ時間もないしこれかっこいいし使ってみよう!選んでみた。
めっちゃかっこよかった。
そこから私はキンケドゥさんに夢中になる。一目惚れだった。
声もかっこいい、セリフもかっこいい。
それに宇宙海賊ってカッコ良さの塊でしかなかった。
そしてその後にX2がリリースされてザビーネも知って、キンケドゥさん好き過ぎだろコイツ!からザビキンが始まった。
ちなみにシーブック=キンケドゥを知るのは少し先の話。
事故の時に頭を打ったせいで思い出すことが難しくなった今でもこのX1を使った日の事はちゃんと覚えているので感覚的にも気持ち的にも忘れられない日だったのは間違えないです。
ちなみにX2を初めて使った日は覚えていません、この差である。
それに辻谷さんには前にも書いた様な気がするのですが、ツイッターで送った手描き動画に反応を頂いてたりして、遠くの世界の方なのに本当に近所にいるおじさん並に優しくして頂いて、すごく嬉しかったですしこの事は忘れませんし、私の記憶の宝物です。
語り出せば止まらなくなるし、涙は出るしで収拾がつかなくなるのでここまでにします。
お悔みとかご冥福のレベルじゃないので言いませんし、言いたくもないし、辻谷さんに伝えたいことは
「今まで本当にありがとうございました。これからもずっと大好きです。」
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2018-10-24 15:07
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