京福電鉄叡山線デナ21型
★叡電デナ21型。★彼女、と言ってもいささかトウが経っていたが、一目惚れしたのは中坊の時だったか。★古本で買った「鉄道ファン」誌が叡電〜当時は京福電鉄の一員だった〜の特集を組んでいたのだった。★惚れてはみたものの、当時ですら齢ン十年を重ねていた老嬢、程なく廃車になると諦めていた。★その中学の修学旅行、京都に行ったは良いが、一切の自由時間無し。★おかげで廃止直前の京都市電に乗る事すら能わず…orz。★ようように垣夜に乗って叡山・鞍馬線を訪れたのは高校になって。★未だ鴨東線は紙上の楼閣。★国鉄駅から市バスで出町柳に向かった。★京に鄙在り。ちっぽけで好ましいターミナルには、未だ彼女が現役で頑張っていたのだった!★嬉しかったなぁ。★その後三度程、叡電に乗った。★旧阪神の500とか、後輩の300とかすら引退して行ったのに、彼女は見世を張り続けていた。★今世紀に入って、精華短大に「マンガ学会」見物に行ったのが、今の所最後の叡電訪問だが、鞍馬駅前にぽつんと、彼女の運転台だけが据えられていた。★デスマスクのようで悲しかった。★1991年画。未だ彼女は元気だったよ。
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2009-11-13 21:40
Comments (4)
天羽様>おぉ! 叡電ユーザであらせられましたか。羨ましい! そうですね、1970年代までポールカーでした。日本では最後まで残った方の筈です。
叡電は、大昔宝ヶ池子どもの楽園へ行くときに利用していたなぁ・・・。営業路線でトロリーを見た唯一の例かも。
まぁ、知っていても大して役には立たんのよ。
世の中いろんな電車がありすぎるw段々分かってきたような、分かってないような…