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武装SSの権化~ナチス・ドイツ武装親衛隊士官ヨアヒム・パイパー

対仏戦から断末魔の末期戦までナチスドイツの行った主な戦場の多くで戦い抜いた古強者で、特に映画「バルジ大作戦」で知られるヒトラー最後の大博打である「ラインの守り作戦」では先鋒を務めた事で有名である。
 ナチが定めた「理想的なアーリア人種」な外観であったことからヒムラーの副官を務めた事があるが情に厚い一面を持ち、窮地に陥った戦友を率先して救出に向かったり、ユダヤ人狩り部隊に捕らえられたユダヤ教の伝道師を救った等のエピソードが存在する。
 1945年、オーストリアにて米軍の軍門に降るもバルジの戦いの際に偶発的に発生した米軍捕虜の虐殺(マルメディ事件)等の嫌疑で戦犯に問われ、11年半もの間収監されることとなった。
 出所後は自動車会社等で勤務していたが母国の非ナチ政策の為に解雇され、生活に窮してフランスの国粋主義者の招きにより同国に移住。そこで翻訳家として生活し続けていたが1976年に極左テロリストからの火炎瓶による襲撃に遭い、悲惨な最期を遂げた。
 なお、彼の兄ハッソは若くして自殺をこころみて(動機は不詳)果たせず長らく意識不明のまま死亡、弟のホルストは兄と同じく武装SS士官となるも同性愛者の嫌疑をかけられて自殺においこまれている。
 う~む、もうちょっとリアルに人物画描けるようになりたいなあ

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2019-01-11 17:33

 となりのマッキンタイア


Comments (4)

SS出身者は国防軍再建に参加できなかったんですねぇ...ソ連の宣伝だと「西ドイツ国防軍幹部はナチ戦犯の集団」てな話でしたが、そうでもなかったんですな

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安埜雲 2019-01-11 19:37

バルジの戦いでの猛進撃で有名ですね。インテリで熱狂的なナチス信者でユダヤ人ラビを救ったりパイパーも複雑な人と言う印象を抱いていましたが兄弟が自殺しているとは知りませんでした。

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