鎌倉諏訪家屋敷
北条得宗御内人の一人として権勢を振るった鎌倉の諏訪家屋敷(現在の御成小学校・鎌倉市役所付近)源平争乱期に木曽義仲サイドだったため、しばらく幕府の中枢から遠ざかっていた諏訪家ですが、鎌倉幕府末期には北条得宗(北条本家みたいな感じ)の側近御内人として隆盛を極めていました。発掘からは貴族のような豪華な屋敷・そして豪華な庭を潰して建てた大型建物(兵舎?)や炭化した跡(新田義貞突入時の兵火?)なども見つかっています。鎌倉幕府滅亡後は北条高時の遺児時行を担いで中先代の乱(1335)を起こしたりもしています
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2019-02-02 13:09
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