【蟲師×鬼徹クロスオーバー】異形戻り
蟲師とは、蟲とヒトとの世を繋ぐ者である。全ての生命は他を脅かすためにあるのではなく、只其々が在るように在るだけ。だが時に、それらはヒトに妖しき現象をもたらす。それに対処する蟲師は、蟲が引き起こす不可思議な現象、そしてそれが如何なる蟲であるかに精通している。
だが、蟲とは異なる"異形のモノ"が、稀にいる。
それは、特異な性質を持った"ヒト"であったり、化け物の類の"狐狸"であったり、或いは魂とか神とか鬼とか、そういった類のものでしか説明のつかない存在―――
「蟲師のギンコと申します」
「……塩満(えんま)と申します。遠いところを、本当に……」
背の低い小太りな髭の老人は、囲炉裏の隣で深々と頭を下げた。笑えばさぞ柔和な顔を見せるのだろうが、窪んだ目と乱れた結い髪からは苦労の痕が見える。
早速、ギンコは傍らに横たわる青年の腕を取る。
切れ長の目と短い眉の意凛とした顔だが、虚ろな目は天井を見つめたまま、瞬き一つしない。
「息子さんと言いましたな。随分あんたとは似てないようだが」
「……彼は、孤児だったんです。儂が拾ったようなもので、名付け親になりました」
「なるほど」
ギンコは脈を取る。脈は正常にあり、体温も低くはない。だが事前の手紙には、昼間は日の当たる場所で呆けたままだとあった。
似た事象には心当たりがある。
ニセカズラという蟲がいる。蔓の様な見た目をし、通常木の上で生活しているものだ。だが、日照時間の少ない地に生息している場合、生物の体に寄生して光を浴び、力を蓄えた個体が一定数に達すると宿主の身体を出て群れを作り、移動することがある。
こうなる前の彼の様子を尋ねても、塩満は堅く口を閉ざしていた。何か事情でもあるのか、或いは禁でも犯したのか。
「治すために蟲師を呼んだんでしょう。話してもらわねば原因を探ることもできませんよ」
「……信じて、頂けるかどうか……」
「大丈夫です。我々蟲師は慣れていますから。話してください」
「彼は、もう死んでいるんです」
その話は、突拍子も無いと言わざるを得なかった。
遠い昔、齢五から七程の童が、雨乞いの生贄にされ命を落とした。だが怨みの念が鬼火を呼び、遺体に入って異形として蘇生した、というのだ。
光酒を飲んで蟲に成ったり、"ナラズの実"を呑んで不死となる現象もあるが、塩満の話は、少なくともギンコの知る蟲の現象の範疇外だった。彼はこの山で、不自然に沢に滑落し、助けに行ったときには抜け殻になっていたのだという。
そして。
「お話にあった、縄の姿をしたモノ―――それが抜けてから、もうひと月ほどになります」
ギンコは頭を抱えた。なんだこれは。
「通常死体にニセカズラが寄生した場合、抜ければ宿主は死ぬ。生きた者に寄生したならば、抜ければ元通りになる。だが息子さんは完全に死んではいない。しかし元通りになったわけでもない。流石にこれは、蟲師の範疇を超える」
こんな掟破りな事情を持ちながら、それでも蟲師に縋った理由は何故か。沈黙の後、塩満は初めて顔を上げ、真っ直ぐこちらを見た。
「儂は、彼が、捧げられるはずだった水神に呼ばれて、鬼火を殆ど抜かれたのではないかと思っているんです。彼が生贄にされた村があったのが、この辺りで。最近彼の様子がおかしくて。行方不明になって捜しに来たら……」
「……なるほど。例えば彼の命の源があんたの言う鬼火、なのだとして、彼は命を取られかけたところで、ニセカズラに寄生された。ニセカズラが抜けた今、不完全な彼は、最近までしていた習慣を繰り返しているのでしょうな。絡繰りはまだ分からんが、恐らく鬼火、を取り戻せば彼は元通りになる。が……」
塩満は力なく頷いた。
「鬼火を戻す方法が、分からないんです」
ギンコは、彼を診た次の日の朝にはどこかに発ってしまい、ひと月後の夕刻に戻ってきた。
「ちょっと、今までどこに行ってたんですか!」
おろおろする塩満をよそに、ギンコはふっと笑う。
「ちょっと野暮用でね。上手く行くかは分からんが、息子さんを元に戻せるかもしれません」
満月の夜だった。
ギンコと塩満と二人掛かりで、彼を小高い台地の縁へ連れて行った。月はまだ雲に隠れている。彼を座らせ、ギンコは小さな緑の器を取り出す。
すると何も入っていなかった器に、液体が湧いてきた。滾々と光り輝く―――光酒だ。
「これを、飲ませてやってください」
塩満は彼の肩ををそっと抱いて、少しずつ液体を彼の口に注ぎ込む。零れた液体が、幾つも光の筋を作った。
雲が切れる。
「頃合いだな」
ギンコの言葉を合図に、塩満は彼から離れる。青年は月の光を集めたように、光を纏って、ゆっくり、ゆっくりと立ち上がった。
ギンコは息を呑んだ。
月の光に呼応するように、彼の周りに蟲が集まる。風も無いのに髪が靡き、逆立つ。
「う、……っ」
小さな呻き声がした。生気の無かった顔に色が戻り、ギリ、と歯を立てる。
その時。額が盛り上がって、一本、角が生えた。
「う……」
彼がゆっくりと、眼を開いた。焦点の合わない目を二、三度瞬いたあと、視線が少し彷徨って、こちらを捉える。
「……え」
「ほおずきくうぅぅぅん!よかったああああああ!」
いきなり塩満が彼に飛びついて号泣し出し、ギンコは度肝を抜かれた。次の瞬間、何故か塩満の身体は吹っ飛ばされて、地面に無様に転がっていた。
「いつだって仕事は山積みだというのに現世で月見酒ですか。いっそ月に行ってひたすら餅つきでもしていたらどうですか?いい運動になりますよ」
塩満の頬を片手で摘み上げて捲し立てる姿は、先程までの姿とまるで違う。思わず吹いてしまうと、彼はこちらに気付いたようだ。
「貴方は……」
「申し遅れました、蟲師のギンコと申します」
鬼灯は自分が不在だった間の残務を片付けていた。閻魔殿は今は日常に戻っている。
「恨み辛みの感情はよく分からねぇし、あんたに鬼火とやらを戻す方法も思いつかなかった。だがあんたが人でないからこそ、命そのものである光酒を飲めば、蟲にならずに元に戻るんじゃ、と思ってね。それに月の光は蟲を呼びやすい。しばらくは鬼火の代わりになるだろう。あとはあんたが自力で、鬼火を戻してやりゃあいい」
あの蟲師の言葉が脳裏に浮かんだ。
恨みの念が鬼火を呼ぶのなら、鬼火を戻すにもまた恨みの念が必要。だが戻すべき器が虚ろなままではできない。そう判断しての彼の施術だったのだろう。
また、蟲の影響を受けた状態で安易に神々に頼んで魂を入れた場合、どうなるか分からないという閻魔の判断もあったに違いない。
浄玻璃の鏡で見てみると、どうやら彼は今海辺の医家を訪ねているようだ。大事な収集品が割れたらどうすんだ、と喚いている片眼鏡の男と、軽くあしらう白髪碧眼の蟲師。あの緑の杯は、彼がこっそり医者の蔵から失敬したらしい。
彼の経歴はあの後倶生神から聞いた。ギンコという名の由来も、今は記憶の片隅にも残っていない、彼の恩人のことも。
綺麗に忘れてしまっている彼を、少し羨ましくも思った。
まだ人間も捨てたものではないとも感じる。
だが、過去がなければ今の自分は無いし、今さら人の生を歩む気も無い。
ただ、今はこの異形に戻れてよかったと、心から思った。
だが、蟲とは異なる"異形のモノ"が、稀にいる。
それは、特異な性質を持った"ヒト"であったり、化け物の類の"狐狸"であったり、或いは魂とか神とか鬼とか、そういった類のものでしか説明のつかない存在―――
「蟲師のギンコと申します」
「……塩満(えんま)と申します。遠いところを、本当に……」
背の低い小太りな髭の老人は、囲炉裏の隣で深々と頭を下げた。笑えばさぞ柔和な顔を見せるのだろうが、窪んだ目と乱れた結い髪からは苦労の痕が見える。
早速、ギンコは傍らに横たわる青年の腕を取る。
切れ長の目と短い眉の意凛とした顔だが、虚ろな目は天井を見つめたまま、瞬き一つしない。
「息子さんと言いましたな。随分あんたとは似てないようだが」
「……彼は、孤児だったんです。儂が拾ったようなもので、名付け親になりました」
「なるほど」
ギンコは脈を取る。脈は正常にあり、体温も低くはない。だが事前の手紙には、昼間は日の当たる場所で呆けたままだとあった。
似た事象には心当たりがある。
ニセカズラという蟲がいる。蔓の様な見た目をし、通常木の上で生活しているものだ。だが、日照時間の少ない地に生息している場合、生物の体に寄生して光を浴び、力を蓄えた個体が一定数に達すると宿主の身体を出て群れを作り、移動することがある。
こうなる前の彼の様子を尋ねても、塩満は堅く口を閉ざしていた。何か事情でもあるのか、或いは禁でも犯したのか。
「治すために蟲師を呼んだんでしょう。話してもらわねば原因を探ることもできませんよ」
「……信じて、頂けるかどうか……」
「大丈夫です。我々蟲師は慣れていますから。話してください」
「彼は、もう死んでいるんです」
その話は、突拍子も無いと言わざるを得なかった。
遠い昔、齢五から七程の童が、雨乞いの生贄にされ命を落とした。だが怨みの念が鬼火を呼び、遺体に入って異形として蘇生した、というのだ。
光酒を飲んで蟲に成ったり、"ナラズの実"を呑んで不死となる現象もあるが、塩満の話は、少なくともギンコの知る蟲の現象の範疇外だった。彼はこの山で、不自然に沢に滑落し、助けに行ったときには抜け殻になっていたのだという。
そして。
「お話にあった、縄の姿をしたモノ―――それが抜けてから、もうひと月ほどになります」
ギンコは頭を抱えた。なんだこれは。
「通常死体にニセカズラが寄生した場合、抜ければ宿主は死ぬ。生きた者に寄生したならば、抜ければ元通りになる。だが息子さんは完全に死んではいない。しかし元通りになったわけでもない。流石にこれは、蟲師の範疇を超える」
こんな掟破りな事情を持ちながら、それでも蟲師に縋った理由は何故か。沈黙の後、塩満は初めて顔を上げ、真っ直ぐこちらを見た。
「儂は、彼が、捧げられるはずだった水神に呼ばれて、鬼火を殆ど抜かれたのではないかと思っているんです。彼が生贄にされた村があったのが、この辺りで。最近彼の様子がおかしくて。行方不明になって捜しに来たら……」
「……なるほど。例えば彼の命の源があんたの言う鬼火、なのだとして、彼は命を取られかけたところで、ニセカズラに寄生された。ニセカズラが抜けた今、不完全な彼は、最近までしていた習慣を繰り返しているのでしょうな。絡繰りはまだ分からんが、恐らく鬼火、を取り戻せば彼は元通りになる。が……」
塩満は力なく頷いた。
「鬼火を戻す方法が、分からないんです」
ギンコは、彼を診た次の日の朝にはどこかに発ってしまい、ひと月後の夕刻に戻ってきた。
「ちょっと、今までどこに行ってたんですか!」
おろおろする塩満をよそに、ギンコはふっと笑う。
「ちょっと野暮用でね。上手く行くかは分からんが、息子さんを元に戻せるかもしれません」
満月の夜だった。
ギンコと塩満と二人掛かりで、彼を小高い台地の縁へ連れて行った。月はまだ雲に隠れている。彼を座らせ、ギンコは小さな緑の器を取り出す。
すると何も入っていなかった器に、液体が湧いてきた。滾々と光り輝く―――光酒だ。
「これを、飲ませてやってください」
塩満は彼の肩ををそっと抱いて、少しずつ液体を彼の口に注ぎ込む。零れた液体が、幾つも光の筋を作った。
雲が切れる。
「頃合いだな」
ギンコの言葉を合図に、塩満は彼から離れる。青年は月の光を集めたように、光を纏って、ゆっくり、ゆっくりと立ち上がった。
ギンコは息を呑んだ。
月の光に呼応するように、彼の周りに蟲が集まる。風も無いのに髪が靡き、逆立つ。
「う、……っ」
小さな呻き声がした。生気の無かった顔に色が戻り、ギリ、と歯を立てる。
その時。額が盛り上がって、一本、角が生えた。
「う……」
彼がゆっくりと、眼を開いた。焦点の合わない目を二、三度瞬いたあと、視線が少し彷徨って、こちらを捉える。
「……え」
「ほおずきくうぅぅぅん!よかったああああああ!」
いきなり塩満が彼に飛びついて号泣し出し、ギンコは度肝を抜かれた。次の瞬間、何故か塩満の身体は吹っ飛ばされて、地面に無様に転がっていた。
「いつだって仕事は山積みだというのに現世で月見酒ですか。いっそ月に行ってひたすら餅つきでもしていたらどうですか?いい運動になりますよ」
塩満の頬を片手で摘み上げて捲し立てる姿は、先程までの姿とまるで違う。思わず吹いてしまうと、彼はこちらに気付いたようだ。
「貴方は……」
「申し遅れました、蟲師のギンコと申します」
鬼灯は自分が不在だった間の残務を片付けていた。閻魔殿は今は日常に戻っている。
「恨み辛みの感情はよく分からねぇし、あんたに鬼火とやらを戻す方法も思いつかなかった。だがあんたが人でないからこそ、命そのものである光酒を飲めば、蟲にならずに元に戻るんじゃ、と思ってね。それに月の光は蟲を呼びやすい。しばらくは鬼火の代わりになるだろう。あとはあんたが自力で、鬼火を戻してやりゃあいい」
あの蟲師の言葉が脳裏に浮かんだ。
恨みの念が鬼火を呼ぶのなら、鬼火を戻すにもまた恨みの念が必要。だが戻すべき器が虚ろなままではできない。そう判断しての彼の施術だったのだろう。
また、蟲の影響を受けた状態で安易に神々に頼んで魂を入れた場合、どうなるか分からないという閻魔の判断もあったに違いない。
浄玻璃の鏡で見てみると、どうやら彼は今海辺の医家を訪ねているようだ。大事な収集品が割れたらどうすんだ、と喚いている片眼鏡の男と、軽くあしらう白髪碧眼の蟲師。あの緑の杯は、彼がこっそり医者の蔵から失敬したらしい。
彼の経歴はあの後倶生神から聞いた。ギンコという名の由来も、今は記憶の片隅にも残っていない、彼の恩人のことも。
綺麗に忘れてしまっている彼を、少し羨ましくも思った。
まだ人間も捨てたものではないとも感じる。
だが、過去がなければ今の自分は無いし、今さら人の生を歩む気も無い。
ただ、今はこの異形に戻れてよかったと、心から思った。
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2019-04-21 20:56
Comments (3)
好きすぎて吐血しました。ギンコと鬼灯様とかもう…もう!!!!ぐはっ////