三重路のあすなろ電車
(12)四日市あすなろう鉄道 ク115
三岐鉄道北勢線と四日市あすなろう鉄道。どちらも三重県の鉄道で、今では日本国内で営業する最後の軽便鉄道となってしまった。
両社には深い縁がある。と言うのも、元々両社とも三重交通という交通会社が営業する路線だったのだ。後に近畿日本鉄道(以下、近鉄)に合併されて近鉄の支線となり、このうち内部・八王子線と呼ばれていたのが現在の四日市あすなろう鉄道である。
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サ360型(361~368)は、その三重交通が内部・八王子線などの軽便路線向けに昭和29(1954)年に導入したもので、2枚目が原型の姿だ。
一見すると運転台があるように見えるが、実は制御機能を持っておらず、電車に押し引きされるだけの客車である。将来の制御車への改造を考慮し、乗務員扉と運転台の設置スペースだけが早々に設けられていたのだ(もちろん中には何もない)。
サ360型は、三重交通が沿線の開発に注力していた内部・八王子線や湯の山線(後に改軌)に配属され、その後さらに新車が増えると6輌が北勢線に転属した。
近鉄に合併後はサ130型(131~138)と改称。昭和52(1977)年には北勢線に所属の133が再び内部・八王子線に戻り、この異動を最後に北勢線の5輌と内部・八王子線の3輌が再び顔を合せる事はなかった。
その後北勢線では久しぶりの新車・270系のデビューと同時に車輌の固定編成化を進めることになり、その一環で134と136が制御車に改造されてク134・136となった。製造後23年目にしてやっと「開かずの乗務員室」が活用されたのである(が、ク136はその後また中間車に戻されてしまった)。北勢線の仲間はその後も内外の改造が重ねられ、元の面影は薄れていった。
引き続き内部・八王子線の方にも新車・260系がデビューし、こちらのサ130型も260系とペアを組むにあたって気合の入った改造が行われた。
131と133が制御車に改造されク110型(114・115)となり、足回りや内外装をリニューアル。かつての面影は側面のバス窓くらいになった。残る132はサ124と改番し中間車となっている。
そんな経営努力もむなしく、やがて内部・八王子線と北勢線はどちらも乗客減で赤字路線と化し、存続の危機に瀕した。幸い北勢線は三岐鉄道に移管され存続、再び車輌や駅の大改修を行って面目を一新したが、残る内部・八王子線にも同じ問題が浮上するのは時間の問題だった。
平成24(2012)年、近鉄は内部・八王子線を廃止しバス転換する計画を四日市市に示した。だが今も沿線の学生の70%近くが鉄道を利用している現状をふまえ、四日市市は鉄道での存続を希望する。結果、近鉄と四日市市が合同で出資する第3セクター方式の新会社を設立する方向で合意し、平成27(2015)年4月1日、内部・八王子線は「四日市あすなろう鉄道」として再出発を切った。
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平成28(2016)年8月23日、僕こばひろはク115の車内にいた。新会社発足とともに内部・八王子線で史上初の冷房車・新260系がデビュー、いずれ旧型車が引退する前に早く乗りに行こうと決めたのだ。
内部・八王子線の電車は1輌毎に異なるパステルカラーに塗られていて、ポップで可愛かった。しかし室温37℃近くに達する真夏の非冷房車はかなり過酷で、現代的で夏も涼しい新260系は地元の人々にとって待望の存在だったことだろう。内部駅の近くの小道で、ク115先頭の3連が到着するのを撮った。青空がク115の黄色いボディをひときわ輝かせる、よく晴れた日だった。
ク115は平成29(2017)年6月1日にさよなら運転を行い廃車、残るク114・サ124も同年9月に引退した。翌年には他の未更新車もリニューアルもしくは廃車となり、鉄道の冷房化率100%が達成されたのである。
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あすなろ(翌檜)という樹木の名には「明日は檜になろう」という語源があり、希望を胸に努力する人々の象徴でもある。三重交通の期待の星として生まれ、いつか先頭に立ち風をきって走ろうという意志を「開かずの乗務員室」に秘め、そして存亡の危機を乗り越え再び町の自慢の軽便鉄道になろうという決意とともに生まれ変わった鉄道の一員として、63年の月日を走り続けた。「あすなろ」という言葉は、そんな彼等に一番ふさわしい“勲章”だったのかもしれない。
三岐鉄道北勢線と四日市あすなろう鉄道。どちらも三重県の鉄道で、今では日本国内で営業する最後の軽便鉄道となってしまった。
両社には深い縁がある。と言うのも、元々両社とも三重交通という交通会社が営業する路線だったのだ。後に近畿日本鉄道(以下、近鉄)に合併されて近鉄の支線となり、このうち内部・八王子線と呼ばれていたのが現在の四日市あすなろう鉄道である。
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サ360型(361~368)は、その三重交通が内部・八王子線などの軽便路線向けに昭和29(1954)年に導入したもので、2枚目が原型の姿だ。
一見すると運転台があるように見えるが、実は制御機能を持っておらず、電車に押し引きされるだけの客車である。将来の制御車への改造を考慮し、乗務員扉と運転台の設置スペースだけが早々に設けられていたのだ(もちろん中には何もない)。
サ360型は、三重交通が沿線の開発に注力していた内部・八王子線や湯の山線(後に改軌)に配属され、その後さらに新車が増えると6輌が北勢線に転属した。
近鉄に合併後はサ130型(131~138)と改称。昭和52(1977)年には北勢線に所属の133が再び内部・八王子線に戻り、この異動を最後に北勢線の5輌と内部・八王子線の3輌が再び顔を合せる事はなかった。
その後北勢線では久しぶりの新車・270系のデビューと同時に車輌の固定編成化を進めることになり、その一環で134と136が制御車に改造されてク134・136となった。製造後23年目にしてやっと「開かずの乗務員室」が活用されたのである(が、ク136はその後また中間車に戻されてしまった)。北勢線の仲間はその後も内外の改造が重ねられ、元の面影は薄れていった。
引き続き内部・八王子線の方にも新車・260系がデビューし、こちらのサ130型も260系とペアを組むにあたって気合の入った改造が行われた。
131と133が制御車に改造されク110型(114・115)となり、足回りや内外装をリニューアル。かつての面影は側面のバス窓くらいになった。残る132はサ124と改番し中間車となっている。
そんな経営努力もむなしく、やがて内部・八王子線と北勢線はどちらも乗客減で赤字路線と化し、存続の危機に瀕した。幸い北勢線は三岐鉄道に移管され存続、再び車輌や駅の大改修を行って面目を一新したが、残る内部・八王子線にも同じ問題が浮上するのは時間の問題だった。
平成24(2012)年、近鉄は内部・八王子線を廃止しバス転換する計画を四日市市に示した。だが今も沿線の学生の70%近くが鉄道を利用している現状をふまえ、四日市市は鉄道での存続を希望する。結果、近鉄と四日市市が合同で出資する第3セクター方式の新会社を設立する方向で合意し、平成27(2015)年4月1日、内部・八王子線は「四日市あすなろう鉄道」として再出発を切った。
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平成28(2016)年8月23日、僕こばひろはク115の車内にいた。新会社発足とともに内部・八王子線で史上初の冷房車・新260系がデビュー、いずれ旧型車が引退する前に早く乗りに行こうと決めたのだ。
内部・八王子線の電車は1輌毎に異なるパステルカラーに塗られていて、ポップで可愛かった。しかし室温37℃近くに達する真夏の非冷房車はかなり過酷で、現代的で夏も涼しい新260系は地元の人々にとって待望の存在だったことだろう。内部駅の近くの小道で、ク115先頭の3連が到着するのを撮った。青空がク115の黄色いボディをひときわ輝かせる、よく晴れた日だった。
ク115は平成29(2017)年6月1日にさよなら運転を行い廃車、残るク114・サ124も同年9月に引退した。翌年には他の未更新車もリニューアルもしくは廃車となり、鉄道の冷房化率100%が達成されたのである。
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あすなろ(翌檜)という樹木の名には「明日は檜になろう」という語源があり、希望を胸に努力する人々の象徴でもある。三重交通の期待の星として生まれ、いつか先頭に立ち風をきって走ろうという意志を「開かずの乗務員室」に秘め、そして存亡の危機を乗り越え再び町の自慢の軽便鉄道になろうという決意とともに生まれ変わった鉄道の一員として、63年の月日を走り続けた。「あすなろ」という言葉は、そんな彼等に一番ふさわしい“勲章”だったのかもしれない。
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2019-09-15 21:00
Comments (16)
あーこの子好きです。近鉄顔くっつけたものの側面は三重交通そのままで、ふるき良き軽便のかほりですよね。電動車とモロ大きさ違って凸凹編成だし、ドアピッチもまちまちだし、内部線大好き。
View Replies居住地に比較的近い場所を走っているので、1年に1回くらいのタイミングで北勢線と共に乗りに行きます。旧型車の引退は残念な一方、平成の末期にナローの新造車が登場したのは衝撃でした。営業的には苦戦が続いているようですが、どうか頑張って欲しいものです。
View Replies実は母方の実家(+それ繋がりで七瀬自身の出生地も)が四日市なので、近鉄名古屋線周辺の車両たちはみんな顔なじみ(擬人化的に)だったりします( ̄▽ ̄*) 大家族近鉄電車から離れていったのは寂しいですが、ああして残っていってくれるのは嬉しいものですね。
View Replies現役の数少ない軽便鉄道、私の地元から近いこともあって馴染み深い存在です。初めて見たとき、バス窓をした明らかに毛色の違うヤツがいて、とても印象に残ってます(笑) 北勢線の連接車が個人的には好きです^ ^
View Replies一枚目のシンプルで清楚な車体が印象的です。 「明日は檜になろう」という言葉で、ず~~~とムカシにみた「あすなろ物語」という映画を思い出しました。挿入歌の歌詞に「明日は檜になろうと」という一節が有ったのが印象的で覚えていました……と、ごめんなさい関係ない話で(^_^;)
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