フォッケウルフ TA154
フォッケウルフ社のクルト・タンク博士[Kurt Tank]は、高々度を飛行する双発戦闘爆撃機の開発プランに 着手しており、過給器装備の「ユモ」211Rエンジンを搭載し与圧操縦席を持つ機体を設計した。搭載エン ジンからTa211と名付けられたこの機体は、大半を木製合板の接着で作られることになっていた。
1942年8月に独航空省は夜間戦闘用の双発迎撃機開発を複数メーカーに指示した。これは当時改良が 進められていたMe210の性能向上が うまくいかなかったこともあって、早急な完成を求められるものであった。フォッケウルフ社ではTa211 の流れをくむ機体案を提出し、15機の試作契約を受けること成功した(このときハインケル社が提出した 機体案P1060も、He219として 試作契約を受けている)。
試作機による評価試験で優秀な性能をしめした当機だったが、航空省側は良好な視界と航続距離の大きさか らHe219の方を評価していた。しかし航空監察官であるエアハルト・ミルヒ[Erhard Milch]が当機を推し たため、43年末に250機の量産型発注が出されることになった。
Ta211で計画された搭載エンジン「ユモ」211は生産上の問題から製造が遅延したため、「ユモ」2 13に変更した量産型が製造され始めた。しかし連合軍の爆撃により機体生産に必要な合板用接着剤の工場が 破壊され、代替品として調達された接着剤の不良により44年6月に量産型の墜落事故が多発したため、同年 8月には生産停止(翌月には完全中止)となってしまった。
1942年8月に独航空省は夜間戦闘用の双発迎撃機開発を複数メーカーに指示した。これは当時改良が 進められていたMe210の性能向上が うまくいかなかったこともあって、早急な完成を求められるものであった。フォッケウルフ社ではTa211 の流れをくむ機体案を提出し、15機の試作契約を受けること成功した(このときハインケル社が提出した 機体案P1060も、He219として 試作契約を受けている)。
試作機による評価試験で優秀な性能をしめした当機だったが、航空省側は良好な視界と航続距離の大きさか らHe219の方を評価していた。しかし航空監察官であるエアハルト・ミルヒ[Erhard Milch]が当機を推し たため、43年末に250機の量産型発注が出されることになった。
Ta211で計画された搭載エンジン「ユモ」211は生産上の問題から製造が遅延したため、「ユモ」2 13に変更した量産型が製造され始めた。しかし連合軍の爆撃により機体生産に必要な合板用接着剤の工場が 破壊され、代替品として調達された接着剤の不良により44年6月に量産型の墜落事故が多発したため、同年 8月には生産停止(翌月には完全中止)となってしまった。
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2020-06-21 10:17
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