人修羅

2003年、PS2用のゲームソフト「真•女神転生Ⅲ ノクターン」を買った日の事を、今でも鮮明に覚えている。

地元の寂れゆく商店街の片隅にあった、小さなファミコンショップ。

その頃は、まだゲームマニアを自称するほどのゲーム好きではなかったけれど、何故か「真•女神転生」と「真•女神転生Ⅱ」は、子供ながらに熱中し大好きだった。

大人になってから、「Ⅲ」が発売されると知って、心から楽しみにしていたのを思い出す。

発売日、確か予約はしていなかったのだけれど(その頃の私にはゲームを予約して買うという習慣が無かった)、数量限定の特典として、主人公の人形が貰えるという事は知っていた。

店員さんに、「人形は貰えますか」と聞いてみたものの、当然ながら予約していなかったせいで、貰えなかったあの時の何とも言えない悔しさや寂しさは、今でも懐かしい感情として去来する。

素晴らしいゲームだった。

単純な一元論でも善悪でもない、小さな宇宙がその内には確かにあった。

0と1の紡ぐ世界の物語に、心から感動した。

そして、一年後の2004年、「真•女神転生Ⅲ ノクターン マニアクス」が発売された。

その頃の私は気晴らしに、オンボロ原付バイクに跨って、よくツーリングまがいな事をしていた。

今回は原付に跨り、ちょっと遠出をして、隣り街の大きな商業施設の近くにあった、ファミコンショップで購入した。

ただ、相変わらず予約はしていなかった。

店内にて、青から灰色へと変更されたパッケージを見つけ、それを手に取りレジへと持っていく時の、静かな興奮と高揚感。

「マニアクス」では、新たに車椅子の老紳士に関わるエピソードが追加されていた。

死と誕生。破壊と再生。

その結末は、正に衝撃的だった。

自身の死生観が、根底から崩される思いだった。

ゲームに影響され、神話と歴史、科学と宗教、そんな物に興味を覚え、特に宗教には強く曳かれるようになった。

私の場合、不信心にもそれは信仰という形には昇華しなかったけれど、哲学、思想としての宗教に傾倒した。

人が人たる為の則であり、また救済装置なのだろうと、未熟ながらに愚考する。

2020年、12月。

PS4にて新たに発売された「真•女神転生Ⅲ ノクターン HDリマスター」をプレイしながら、ふとそんな日の事を思い出す。

今はもう、二つのファミコンショップは無くなってしまったけれど、あの時に見た風景と、感じた空気は、今でもはっきりと覚えている。

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2020-12-20 00:49

 時空乃


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