五郎十郎曽我の事
五郎十郎曽我の事 → 十郎が五歳の時、父が工藤祐経
(くどうすけつね)に殺されました。
そのため母の満江は、曽我祐信と再婚し、
十郎・五郎の兄弟は、ここで成長し、いつか父の仇を
討ちたいと心にきめていました。
建久4年(1193)5月、源頼朝は、大勢の武将を
引き連れて、富士のすそので大巻狩(まきかり)を
開きました。曽我十郎・五郎、工藤祐経らの武将も
頼朝のお供をしました。巻狩の夜、富士のすそ野は
大あらしでした。
意を決した十郎、五郎は、猛雨をついて祐経の館を襲い、
祐経の首を討ち取り、父のうらみをはらしました。
『勝山記』には、「建久四 五月二十八日、曽我親の敵を
討つ、富士すその。」と、あります。
イラストは(わらべうた「うたのなかやま」から)
https://www.youtube.com/watch?v=QP8L5NBNocU&t=1s
(くどうすけつね)に殺されました。
そのため母の満江は、曽我祐信と再婚し、
十郎・五郎の兄弟は、ここで成長し、いつか父の仇を
討ちたいと心にきめていました。
建久4年(1193)5月、源頼朝は、大勢の武将を
引き連れて、富士のすそので大巻狩(まきかり)を
開きました。曽我十郎・五郎、工藤祐経らの武将も
頼朝のお供をしました。巻狩の夜、富士のすそ野は
大あらしでした。
意を決した十郎、五郎は、猛雨をついて祐経の館を襲い、
祐経の首を討ち取り、父のうらみをはらしました。
『勝山記』には、「建久四 五月二十八日、曽我親の敵を
討つ、富士すその。」と、あります。
イラストは(わらべうた「うたのなかやま」から)
https://www.youtube.com/watch?v=QP8L5NBNocU&t=1s
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2021-06-17 17:27
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