とても汚れていたのでな

最近忙しくて手が付けられていなかった雑務が思いのほか長引いてしまい、片づけた時にはトレーニングの開始時間ギリギリになってしまっていた。

小走りでトレーニング場へ向かっていたため周囲に注意が行き渡っていなかった。曲がり角から飛び出してきたウマ娘に気づかず衝突してしまう。
こちらは横からタックルされたような状況だったため、ちょっとした衝撃で突き飛ばされてしまった。ヒトに当たった程度ではスピードを落とせなかったウマ娘がこちらに覆い被さるように倒れてくる。
倒れた際の衝撃で多少は痛みがあったものの、幸いにも折れている感覚はなくホッとする。
とりあえず当たってしまったウマ娘に怪我はないか聞く。

「ごめんね！私は怪我してないけど、君は大丈夫？」
と慌てた様子でYシャツの上からペタペタと背中や関節を触って確認している。

怪我はないことが分かったので安心する。

「お互いに廊下は走らず気をつけて行こう」

注意しあいながらトレーニング場へ歩いて向かう。
トレーニング場に着くと両耳にクローバーの耳飾りを付けたウマ娘とはそこで別れ、そこからは全力でダッシュする。

到着するや否や

「遅い！」

トレーニング場には既にアップを終え、整尾スプレーを尻尾に満遍なく噴射しているエアグルーヴがこちらを睨みながら怒鳴る。

息を切らしながら彼女に近づくと、先ほど噴射していた整尾スプレーの花の香りが鼻孔をくすぐる。そして彼女も何かを嗅いだのか、鼻をスンと鳴らす。

ふいに顔を近づけてくる。鼻はいまだにスンスンと鳴らしている。

「貴様、さっきは何があった？何故遅れた？」
真剣な表情で質問してくる。
多分こちらが遅れた理由を聞きたいのだろうと思い、さきほどくる途中、ウマ娘と衝突したことを伝えた。

「…そうか。そもそも時間ギリギリで行動していなければ、そんなことにはならなかっただろう。たわけが」

「おっしゃる通り」としか返せないことを言われ、遅れを取り戻すようにトレーニングを開始した。

トレーニング終了後
「おい、明日また掃除しにいくからな。今日はなるべく片付けるなよ」
と唐突に伝えられる。

彼女が度々行っている「ストレス発散」方法の一つだ。
今日は彼女を怒らせることをしてしまったのでストレスが溜まってしまったのだろう。
素直に従うことにする。

帰宅後、彼女に言われた通りに今日着ていたワイシャツなどはカゴに入れたままで夕飯の洗い物などもそのままにする。

最近何故か「掃除」することが増えてきているなと感じつつも、内心とても助かると思いながら眠りについた。

翌日、早朝からチャイムが鳴る。
玄関を開けると白い三角巾を頭に巻いたエアグルーヴが掃除用具など大荷物を持ち入ってきた。

「おはよう。では早速始めるから貴様は出て行け」

言い終わる前に家の主を外にほっぽり出し掃除を始めてしまった。
こうなってはどうしようもないので、時間潰しも兼ねて歩いて近くのファストフード店へ行くことにした。

数時間後
玄関前でスマホを見ているとガチャリとドアが開いた。
「終わったぞ」と声をかけられる。
朝見た仏頂面より幾分柔らかくなった表情で室内に案内される。

朝とは見違えるほどキラキラと輝いてみえるリビングを目の当たりにし感動を覚える。
フローリングはちょっとしたペタつきもなく、滑ってしまうのではないかとおもうほどの肌触り、窓のサッシ部分にたまった汚れなども無くなっていた。

「本当にありがとう」と心から感謝の言葉を伝える。

「私が勝手にやってることだ。気にするな」と返すエアグルーヴは柔らかく微笑んでいた。

「…ああ、それと、これは新しい物だ」
そう言って鞄の中から取り出した物を手渡される

それはシワなくパリッと仕上がったワイシャツで自分がよく着ているサイズの物だった。

「ありがとう」と咄嗟に返したものの何故真新しいワイシャツを渡されたのか疑問に思っていると

「カゴに入っていたワイシャツだが『ひどく汚れて』いたのでな。新調しておいた」
頭に付けていた三角巾を外しながら彼女はそう説明してくれた。

昨日脱いだ時は気にしていなかったが、背中部分が汚れていたのだろうか？
盛大に転倒したためその時に破れてしまっていたのだろうか？

そんなことを考えていると彼女は複数のゴミ袋を抱え玄関を出ていく。

「ではまたな。あまり汚すなよ」
そう言ってドアは閉められた。

スッキリとした部屋に1人佇む。

手に持った真新しいワイシャツからはかすかに花の香りが漂う。

それはエアグルーヴが愛用している整尾スプレーの香りだった。