沼御前(ぬまごぜん)
福島県大沼郡金山町の沼沢湖(沼沢沼)に伝わる妖怪で、昔、沼沢湖の周囲は鬱蒼木立に囲まれ、常に霧に覆われていたので俗に霧ケ窪と呼ばれていた。
この沼には雌雄の大蛇がいて、近寄るものを害したので領主の佐原十郎義連がこれを退治することにした。義連は家来50人〜60人(12人の説もあり)と船に乗り、沼の中央あたりで大蛇を罵った。すると今まで晴れていたのが雷鳴が轟いて水面が沸き立ち、沼から大入道が現れた。
これが大蛇の化身と義連たちは武器を持って立ち向かったが、船が大波に翻弄されて上手く戦えず、そのうち大波に全員が飲み込まれてしまった。
岸に残った家来たちはオロオロしてたが沼から大きな水柱が立ち、大蛇が姿を現した。見ると義連がその首に組み付いて刀を振りかざしていた。家来もろとも大蛇に飲み込まれていたのだが大蛇の腹を切り裂き脱出したのだ。本来なら腹の中の毒で命を落とすはずが義連の兜に縫い付けられていた金の観音菩薩が毒から守ってくれたのだった。
大蛇は刀で切られて苦しんでいて、ついに大蛇も義連たちにより退治された。義連は大蛇の頭を切り落とすと沼のほとりの須崎に埋めて後難排除、住民安堵のために社を設けた。これが今に伝わる沼御前社なのだという。
沼沢湖では、この伝説を再現した「湖水祭り・大蛇退治」が毎年8月の第一日曜日に開催されている。
その後沼御前が生きていたとされる後日談がある。
弘安年間の7月におなつという少女が沼沢湖で泳いでいる最中に行方不明になり騒動になった。人々は捜索したがおなつが見つかることはなかった。
そして3日が経った頃、村にいた実宗という上総国の山伏がおなつを嫁にもらう条件のもとおなつを探し当てることを請け負った。実宗は三日三晩滝に打たれて断食祈願の末、おなつの居場所を言い当てた。そしてその場所でおなつは見つかったものの、言葉を喋らず夕陽を見て泣くばかりの毎日を過ごしていた。最後におなつは「沼御前は昼に機を織り、夜には乙姫様のような姿から恐ろしい大蛇と化す」と語ったという。
江戸中期の書物「老媼茶話」に語られる話も沼御前の後日談である。正徳3年(1713)山谷三右衛門という強気な猟師が朝早くに沼沢湖へ鴨猟へ出かけた。すると沼の彼方の岸に20歳くらいの美女が腰から下を水に浸けてお歯黒を付けていた。その髪は2丈(約6メートル)は超えていた。三右衛門はこの沼には沼御前という主がいると聞いていたのでこれは変化のものに違いないと鉄砲を構えて放った。玉は女の胸板を貫き、そのまま水中に女は姿を消した。すると水底が雷電のように鳴りだし、黒雲がたちこめ水面がざわつき始めた。三右衛門は驚き逃げ帰ったが幸いにもなんの祟りもなかったという。
沼御前を描きました。この絵は6期鬼太郎に登場した沼御前です。
参考文献 ウェブサイト
村上健司編著「妖怪事典」
Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BC%E5%BE%A1%E5%89%8D#cite_ref-3
この沼には雌雄の大蛇がいて、近寄るものを害したので領主の佐原十郎義連がこれを退治することにした。義連は家来50人〜60人(12人の説もあり)と船に乗り、沼の中央あたりで大蛇を罵った。すると今まで晴れていたのが雷鳴が轟いて水面が沸き立ち、沼から大入道が現れた。
これが大蛇の化身と義連たちは武器を持って立ち向かったが、船が大波に翻弄されて上手く戦えず、そのうち大波に全員が飲み込まれてしまった。
岸に残った家来たちはオロオロしてたが沼から大きな水柱が立ち、大蛇が姿を現した。見ると義連がその首に組み付いて刀を振りかざしていた。家来もろとも大蛇に飲み込まれていたのだが大蛇の腹を切り裂き脱出したのだ。本来なら腹の中の毒で命を落とすはずが義連の兜に縫い付けられていた金の観音菩薩が毒から守ってくれたのだった。
大蛇は刀で切られて苦しんでいて、ついに大蛇も義連たちにより退治された。義連は大蛇の頭を切り落とすと沼のほとりの須崎に埋めて後難排除、住民安堵のために社を設けた。これが今に伝わる沼御前社なのだという。
沼沢湖では、この伝説を再現した「湖水祭り・大蛇退治」が毎年8月の第一日曜日に開催されている。
その後沼御前が生きていたとされる後日談がある。
弘安年間の7月におなつという少女が沼沢湖で泳いでいる最中に行方不明になり騒動になった。人々は捜索したがおなつが見つかることはなかった。
そして3日が経った頃、村にいた実宗という上総国の山伏がおなつを嫁にもらう条件のもとおなつを探し当てることを請け負った。実宗は三日三晩滝に打たれて断食祈願の末、おなつの居場所を言い当てた。そしてその場所でおなつは見つかったものの、言葉を喋らず夕陽を見て泣くばかりの毎日を過ごしていた。最後におなつは「沼御前は昼に機を織り、夜には乙姫様のような姿から恐ろしい大蛇と化す」と語ったという。
江戸中期の書物「老媼茶話」に語られる話も沼御前の後日談である。正徳3年(1713)山谷三右衛門という強気な猟師が朝早くに沼沢湖へ鴨猟へ出かけた。すると沼の彼方の岸に20歳くらいの美女が腰から下を水に浸けてお歯黒を付けていた。その髪は2丈(約6メートル)は超えていた。三右衛門はこの沼には沼御前という主がいると聞いていたのでこれは変化のものに違いないと鉄砲を構えて放った。玉は女の胸板を貫き、そのまま水中に女は姿を消した。すると水底が雷電のように鳴りだし、黒雲がたちこめ水面がざわつき始めた。三右衛門は驚き逃げ帰ったが幸いにもなんの祟りもなかったという。
沼御前を描きました。この絵は6期鬼太郎に登場した沼御前です。
参考文献 ウェブサイト
村上健司編著「妖怪事典」
Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BC%E5%BE%A1%E5%89%8D#cite_ref-3
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2022-04-22 19:08
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