おぢさんこれくしょん

「波」
 岸歌波《きしかなみ》はその名の通り波だった。
 最初は岸辺の小さな漣だった。少しづつ重なり次第に大きくなっていった。そして彼女の創る波は世界中を覆い尽くした。
 岸歌波はその名の通り波だった。波を歌った。残したのはたったの二つの楽曲。だがその二曲で世界まるごとを包みこむには充分だった。


 とにかく。岸歌波は波だった。波だったのだ。
 だった。だった。だった。
 だったのだ。

 過去形なのは岸歌波がもういないからだ。死んだんじゃない。遠い遠い場所へ行ってしまった。わたしたちがとてもじゃないけど追いつけない速さで宇宙の果てへ飛んでいってしまったのだ。
 岸歌波は宇宙からやってきた人じゃないものだった。
 甘い蜜と黒い雲と柔らかな寝床が大好きな宇宙人だった。
 いつのことかは誰も知らないが、ある時地球へたどり着き二十四年かけて、地球の概念を、言葉を、歴史を、文化を、学んだ。宇宙時代の当たり前をまるまる袋に包んで捨て去って、赤ん坊がやるのと同じように、ゆっくりと時間をかけて地球を学んだ。だから、その心の内までほとんど人と同じ形になったのだ。
 だから、これほどまでに地球のわたしたちの心を打つ歌をうたうことができたのだ。
 人がうたうのと同様に。

 彼女が残した二つの楽曲はアナログとデジタルの両方で今も残る。
 九〇年代後半から続く日本語ロックの流れに乗った「楽曲1」は、恒星のような力強さとけれどだだっぴろい宇宙にひとりいるような寂しさがある。同様の文脈の途上にある「楽曲2」。「楽曲1」とは趣を異にして星星を巡る船のような疾走感にあふれる曲だ。
 バイナルジャケットも、彼女がデザインしたものだが僕たちにはそれが何だかわからない。桃色をした靄とそこへ立つ不思議な生命体と思しき影。おそらくは捨て去ったはずの宇宙時代の記憶だろう。



 さて、僕は。岸歌波が地球を去ってしばらくして後に生まれたが気がつけば岸歌波のとりこになっていた。たったの二曲を繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し聞いてもうそれしか音楽は必要ない。そんな状態になっていた。でも、僕みたいなやつはこの地球上にそれこそ星の数ほどいるんじゃないかな。
 だから何処か遠くの宇宙で岸歌波が今も歌を、地球のそれとはまた異なる星のその美しい情景を、切ない情動をうたっている。そんなふうに想像する人がたくさんいる。そして、それが想像の中だけでないことを証明しようとする人もまたいる。真っ赤になって遠ざかっていく彼女の歌の波を探そうと日々望遠鏡を覗く人もそりゃ数多くいる。
 僕もそのひとり。
 宇宙望遠鏡から送られてくるデータを観測して何処かに彼女の痕跡が、彼女の歌の波がないか探したりしている。


 遠ざかり、赤色する、美しい歌の波。
 けれど、いまだ波立たず。
 地球の岸辺で僕たちはずっと待つ。
 歳を取る代わりに命を変換して。
 いつまでも待つ。

似顔石 works (1)