終わり
もう特に書くことが無い。
もうっていうわけじゃないんだけど、書くことはできるんだけど、もう強引にやらないと書けない。
強引って程じゃないかもしれないけど。
それで、ちょっと一息と。いう感じではないかな。
そうそう初め森にしようと思ったんだけど、面倒くさいなと思って空にした。
そしたら何もない空間みたいになって、でも空が良い天気だったら良いでしょ、みたいなノリで書いたんだと思う。
これはでもごく一瞬の時間だから、すぐに夜になるはずだし。
そしたら、今は愉快っていうか滑稽な感じの猿だけれども、夜になったらちょっと凶暴な一面を見せるかもしれない。
あんな子供と同じくらいのサイズの猿がいたらかなり大きいって思うから。
若者が滅茶苦茶火に寄ってて、熱いと思う。老人もそうだけど。棒で何か押してるみたいだけど。
火の中を突いてるのかな何かが出てきたから燃えて崩落することによって。
火があるから人々が悠長な感じなのだということだろうな。
葉っぱも書こうと思ったんだけど、森の予定だったから、だけど面倒くさいからやめた。
森って大変なんだよね。やってると、何がしたかったんだろうってなるんだよ。
確かに森なんだけど、だから何?っていう、そこに意味を見出すとなると、何かが必要で、森だけで意味を見出すとなると、ちょっと私はどうしたらいいか解らない。
例えば線をぐちゃぐちゃーっと書いて、これは森、っていう、と、「ああ森だね」って、なると思うんだけど。
それをわざわざ、葉っぱっぽくっていうか、具象的な森として書いて、意味を見出す。
これをどうしたらいいんだろうね。私は解らない。よっぽど詳しく無いと難しい気がする。
意味が本当に無いよね森って。そう思うんだけど。
違うのかな、解らない。
コアラと同じくらいじゃない?森の意味って。「コアラの王様」ってあったよね。「コアラと王様」かな。
コアラって森が減っていくと、森を探して道路を歩いて、で森を渡っていくらしいんだよね。
可哀そうだよな。なぜかアイドルみたいな扱いでさ、確実に馬鹿にされてる動物だよね。
ナマケモノって言いたいんだけど、ちょっとずらしておくかみたいな鬨に「コアラ」って言う。という気がする。
ナマケモノほど気合が入ってない、と言ってもいい、と思う。それで変な形してるっていう…。
ナマケモノがある種の完成形、そこまで行けるのに、行かなかった動物。それがコアラ。
中途半端っていうかさまずナマケモノがかなりおかしい動物なのに、それに対して消極的になった、途中で恐らく。そういう動物だということで、かなり失笑を買っている、ということのようだよね。説明すると。
それが、森を渡っていくのだという、んだよね。
たぶんNHKとかで見たんだと思うんだけどこの知識。もう本当にさ野次馬根性以外の何物でもないよね、コアラが森を渡っていく、その滑稽なんだけど、ていうかまあ可哀そうなんだけど、可哀そうな感じで書くわけにもいかないから、冷静に情報として書くわけだけど、それがまた滑稽さを煽ってるっていうか強調してるように見えるっていうかね。
酷いもんだよな本当に人間って。まあ真面目に考えている人もいるんだろうから一概には言えないけど、少なくとも視聴者というのは本当にそんなもん程度でしか見てないはずだから、まあ暇な時間つぶしとしても、謎の情報を得るまでに、進化してしまったというかね。まあもちろん自戒の意味も含めてさ、普通にしてても「コアラが森を追いやられて渡っていく」という情報がやや滑稽な感じで入ってくる。
それが現代だなと思った。
何が書きたかったんだっけ?森の意味だなそれがコアラと同じくらいなんじゃないかと。
確かに森ってちょっと怠惰なイメージある、日本だとなのかね、コアラも怠惰。その度合いは似ているかも。
何だろう「森」っていう概念自体、使わないよね日常でもう現代日本では。かなり特殊な概念だよね、だから捉えどころがない。
コアラも同じようになぜかすっと出てくる言葉ではあるが、用途は不明。そこも森とコアラは似ている。
なぜかすっと出てくる言葉であるにも関わらず、用途が不明、その言葉の使い道が良く解らない。
森もコアラも。
確かにそうかもしれない。
何ということだろうね。
じゃあなぜすっと出てくるのか。「森」や「コアラ」という言葉は。
恐らく、何かを誤魔化すのに、便利なんじゃない?森とコアラは。
そうだと思う。逆に何かを誤魔化したかったら森とコアラの話をすれば良いのではないかな。
例えばだから何か話題に困った時とか、まあ今の私がそうだと思うけど。
そういう時には森とかコアラの話をするのが吉と。
以上。
確かにフクロウにコアラはちょっと似ているね。
謎に何かを見てそうな感じが。ただフクロウだったら昔からの何か普遍的な目線という感じだけれども、コアラだったら、新商品みたいだよね。新商品が見ているのが、コアラ、古代よりの普遍的な視線が、フクロウ。
纏まりの無い話だけど、こんなもんだな。
そうだなフクロウは森の象徴みたいなイメージとしては何かそういう感じがあるね。それで出てきたのかもな。
で古いもので、それに対するのがまるで新商品みたいなコアラと。
纏まったと思う。
以上。
まあ森が怠惰ではないという説をね、フクロウに守ってもらうみたいな。怠惰じゃない森のイメージもあるだろうから。
コアラだと怠惰な感じがするのでね。ユーカリだっけ毒があるのを食うんだよね。
しかしこんな「コアラと言えばユーカリ」みたいな情報も人から聞いただけでユーカリっての見たことも無いし、いい加減な話だよな。
それ自体がコアラっぽいよな。フクロウだって見たことはないけれども、何か違うよね。形態的なものだろうなやっぱり。
確かに毒なんて、見ても解らないけれど、そういうまあ情報とその新商品みたいなものとしてのコアラが結びついているのも、頷ける話だよな。「さもしい」っていうのかなこういうの。草むしりみたいだな。
人類は進んでいる、しかしある種の形態的な部分は何も変わっていないみたいな。
よくある話。すぐ毒の話だもんね、学校とか有るし。現代の我々は。
すぐに毒の話で、もうすぐにコアラの勉強みたいなもん。フクロウは見たこと無いけど「森」はいる苗字とかで。
だからすっと出てくるけど用途は不明、森という単語の用途は不明なまま。なのに苗字とかでよく聞くからすっと出てくる。
それがコアラに似てる。
現代を生きる我々にコアラは似ているわけだね。それで笑ってしまうし、コアラが森を追われて道路を走っていてもどこか同情できない感じがするんだな。
悲しいね。
以上。
多分「森」って「知ったか」の象徴という感じがするよね。
それだけだけど。これは知ったかなんだ~っと思って森を書くと書けそうだなと思った。
まあ知識というかね。
工場とかだと、ちょっと違う当たり前だけど。いわゆる具体性とでも言うかな、森よりも当然人工的なわけだから副次的なものあるいは抽象的なもの。当然だけどさ。森の方が一次的なものということだもんな。
詳しかったら森っていう茫漠とした言葉にならないから、そういう意味ではやっぱり森は知ったかと言っても間違いではないと思う。
以上。
もうっていうわけじゃないんだけど、書くことはできるんだけど、もう強引にやらないと書けない。
強引って程じゃないかもしれないけど。
それで、ちょっと一息と。いう感じではないかな。
そうそう初め森にしようと思ったんだけど、面倒くさいなと思って空にした。
そしたら何もない空間みたいになって、でも空が良い天気だったら良いでしょ、みたいなノリで書いたんだと思う。
これはでもごく一瞬の時間だから、すぐに夜になるはずだし。
そしたら、今は愉快っていうか滑稽な感じの猿だけれども、夜になったらちょっと凶暴な一面を見せるかもしれない。
あんな子供と同じくらいのサイズの猿がいたらかなり大きいって思うから。
若者が滅茶苦茶火に寄ってて、熱いと思う。老人もそうだけど。棒で何か押してるみたいだけど。
火の中を突いてるのかな何かが出てきたから燃えて崩落することによって。
火があるから人々が悠長な感じなのだということだろうな。
葉っぱも書こうと思ったんだけど、森の予定だったから、だけど面倒くさいからやめた。
森って大変なんだよね。やってると、何がしたかったんだろうってなるんだよ。
確かに森なんだけど、だから何?っていう、そこに意味を見出すとなると、何かが必要で、森だけで意味を見出すとなると、ちょっと私はどうしたらいいか解らない。
例えば線をぐちゃぐちゃーっと書いて、これは森、っていう、と、「ああ森だね」って、なると思うんだけど。
それをわざわざ、葉っぱっぽくっていうか、具象的な森として書いて、意味を見出す。
これをどうしたらいいんだろうね。私は解らない。よっぽど詳しく無いと難しい気がする。
意味が本当に無いよね森って。そう思うんだけど。
違うのかな、解らない。
コアラと同じくらいじゃない?森の意味って。「コアラの王様」ってあったよね。「コアラと王様」かな。
コアラって森が減っていくと、森を探して道路を歩いて、で森を渡っていくらしいんだよね。
可哀そうだよな。なぜかアイドルみたいな扱いでさ、確実に馬鹿にされてる動物だよね。
ナマケモノって言いたいんだけど、ちょっとずらしておくかみたいな鬨に「コアラ」って言う。という気がする。
ナマケモノほど気合が入ってない、と言ってもいい、と思う。それで変な形してるっていう…。
ナマケモノがある種の完成形、そこまで行けるのに、行かなかった動物。それがコアラ。
中途半端っていうかさまずナマケモノがかなりおかしい動物なのに、それに対して消極的になった、途中で恐らく。そういう動物だということで、かなり失笑を買っている、ということのようだよね。説明すると。
それが、森を渡っていくのだという、んだよね。
たぶんNHKとかで見たんだと思うんだけどこの知識。もう本当にさ野次馬根性以外の何物でもないよね、コアラが森を渡っていく、その滑稽なんだけど、ていうかまあ可哀そうなんだけど、可哀そうな感じで書くわけにもいかないから、冷静に情報として書くわけだけど、それがまた滑稽さを煽ってるっていうか強調してるように見えるっていうかね。
酷いもんだよな本当に人間って。まあ真面目に考えている人もいるんだろうから一概には言えないけど、少なくとも視聴者というのは本当にそんなもん程度でしか見てないはずだから、まあ暇な時間つぶしとしても、謎の情報を得るまでに、進化してしまったというかね。まあもちろん自戒の意味も含めてさ、普通にしてても「コアラが森を追いやられて渡っていく」という情報がやや滑稽な感じで入ってくる。
それが現代だなと思った。
何が書きたかったんだっけ?森の意味だなそれがコアラと同じくらいなんじゃないかと。
確かに森ってちょっと怠惰なイメージある、日本だとなのかね、コアラも怠惰。その度合いは似ているかも。
何だろう「森」っていう概念自体、使わないよね日常でもう現代日本では。かなり特殊な概念だよね、だから捉えどころがない。
コアラも同じようになぜかすっと出てくる言葉ではあるが、用途は不明。そこも森とコアラは似ている。
なぜかすっと出てくる言葉であるにも関わらず、用途が不明、その言葉の使い道が良く解らない。
森もコアラも。
確かにそうかもしれない。
何ということだろうね。
じゃあなぜすっと出てくるのか。「森」や「コアラ」という言葉は。
恐らく、何かを誤魔化すのに、便利なんじゃない?森とコアラは。
そうだと思う。逆に何かを誤魔化したかったら森とコアラの話をすれば良いのではないかな。
例えばだから何か話題に困った時とか、まあ今の私がそうだと思うけど。
そういう時には森とかコアラの話をするのが吉と。
以上。
確かにフクロウにコアラはちょっと似ているね。
謎に何かを見てそうな感じが。ただフクロウだったら昔からの何か普遍的な目線という感じだけれども、コアラだったら、新商品みたいだよね。新商品が見ているのが、コアラ、古代よりの普遍的な視線が、フクロウ。
纏まりの無い話だけど、こんなもんだな。
そうだなフクロウは森の象徴みたいなイメージとしては何かそういう感じがあるね。それで出てきたのかもな。
で古いもので、それに対するのがまるで新商品みたいなコアラと。
纏まったと思う。
以上。
まあ森が怠惰ではないという説をね、フクロウに守ってもらうみたいな。怠惰じゃない森のイメージもあるだろうから。
コアラだと怠惰な感じがするのでね。ユーカリだっけ毒があるのを食うんだよね。
しかしこんな「コアラと言えばユーカリ」みたいな情報も人から聞いただけでユーカリっての見たことも無いし、いい加減な話だよな。
それ自体がコアラっぽいよな。フクロウだって見たことはないけれども、何か違うよね。形態的なものだろうなやっぱり。
確かに毒なんて、見ても解らないけれど、そういうまあ情報とその新商品みたいなものとしてのコアラが結びついているのも、頷ける話だよな。「さもしい」っていうのかなこういうの。草むしりみたいだな。
人類は進んでいる、しかしある種の形態的な部分は何も変わっていないみたいな。
よくある話。すぐ毒の話だもんね、学校とか有るし。現代の我々は。
すぐに毒の話で、もうすぐにコアラの勉強みたいなもん。フクロウは見たこと無いけど「森」はいる苗字とかで。
だからすっと出てくるけど用途は不明、森という単語の用途は不明なまま。なのに苗字とかでよく聞くからすっと出てくる。
それがコアラに似てる。
現代を生きる我々にコアラは似ているわけだね。それで笑ってしまうし、コアラが森を追われて道路を走っていてもどこか同情できない感じがするんだな。
悲しいね。
以上。
多分「森」って「知ったか」の象徴という感じがするよね。
それだけだけど。これは知ったかなんだ~っと思って森を書くと書けそうだなと思った。
まあ知識というかね。
工場とかだと、ちょっと違う当たり前だけど。いわゆる具体性とでも言うかな、森よりも当然人工的なわけだから副次的なものあるいは抽象的なもの。当然だけどさ。森の方が一次的なものということだもんな。
詳しかったら森っていう茫漠とした言葉にならないから、そういう意味ではやっぱり森は知ったかと言っても間違いではないと思う。
以上。
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2023-10-09 14:00
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