特殊輸送船「熊野丸」

1945年3月に完成するも、当時はこのような大型艦を使うようなあてもなく、広島の宇品港付近に繋留され、無傷の状態で終戦を迎えました。その後、直ちに南方戦線の陸軍将兵の日本本土への復員輸送に使われる事に。この時、航空機格納庫や広大な上陸用舟艇格納庫には、木製のいわゆる蚕棚が一杯に組み上げられ、将兵の居住設備として準備されました。改造を終えた「熊野丸」の収容人員は約4000名と推定され、航空母艦「葛城」を凌ぐ大型の復員船となったそうです。1948年に解体されましたが、二重底は川崎重工神戸造船所の1000トン浮ドックとして再利用され、その後長らく使われる事になりました。
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2010-06-12 23:46

 一宮


Comments (2)

一宮 2010-06-13 00:05

瀬戸内艦隊さん>>上陸用舟艇と言う名の子を抱えている母親ですね。

瀬戸内艦隊 2010-06-12 23:56

存在は知っていたのですが、戦後史の方は初めて知りました。なんとなく、良き母のような雰囲気がしますね。

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