【二羽の黒鷲】ー戦いの果て・その2・・拡大版②
illust/11885380こちらのマンガの拡大版二ページ目です。ちょっとページにいろいろ情報詰め込みすぎましたねえ・・解りづらくてすみません。そもそも拡大版出さねばならなくなったのは、こいつのせい・・
拡大版1ページ目はこちら→illust/11886089
画面の説明・・・【ドイツ王国】911年東フランク王国のカロリング朝が断絶した後、一世代置いて919年、ザクセン朝のハインリッヒⅠ世がドイツ国王として即位した頃から「ドイツ王国」と呼ばれていました。【ハインリッヒ】いわゆる「カノッサの屈辱」ですね【フリードリヒ】イタリア出身の皇帝フリードリヒ2世のこと〈フリッツ親父じゃあないよ)彼がイタリアに居座り、諸侯の自立を強めたことは、帝国の分裂の下地になった。【金印勅書】実は、帝国皇帝は選挙で選ばれてた。帝国の中心であるドイツの王が=皇帝だったので、各諸侯は候補をジャンジャン立てて争いまくり皇帝の出ない自体になった〈大空位時代)そこで皇帝選挙人を7人に絞り〈選帝侯)選挙のルールを決めた。【95カ条の論題】いわゆるマルティン・ルターの宗教改革。【俗界の王が】皇帝と教皇庁は事あるごとに対立、火花を散らした。帝国の弱体化の原因は、教会と皇帝を支配者に仰ぐという両輪を持ってしまった事かも。【見合いの席で】ブランデンブルグさん〈ギルの相方)の上司がパブったので・・相手はノイブルグ侯さん。ブラさん気の毒に・・・【俺が新教徒】カトリックの教皇庁を護るという名目で建国した帝国なので、諸侯がルターのプロテスタントに鞍替えしてしまうことは帝国の根幹を揺るがす大事件だった。【私オーストリアが】16世紀以降帝国はトルコさんの襲撃や新旧教徒入り乱れての宗教内戦に明け暮れた。そんな中できらり異彩を放ったのがオーストリアさんのハプスブルグ家だ。トルコ追い払ったり、スペインを領地にしたり、宗教内戦に付け込んできたフランス追い払ったり。そんな中でオーストリアは帝国最大勢力の選帝侯神ロくんの母体のザクセンさんを味方に付けることに成功。神ロと浸食共にすることとなる。
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画面の説明・・・【ドイツ王国】911年東フランク王国のカロリング朝が断絶した後、一世代置いて919年、ザクセン朝のハインリッヒⅠ世がドイツ国王として即位した頃から「ドイツ王国」と呼ばれていました。【ハインリッヒ】いわゆる「カノッサの屈辱」ですね【フリードリヒ】イタリア出身の皇帝フリードリヒ2世のこと〈フリッツ親父じゃあないよ)彼がイタリアに居座り、諸侯の自立を強めたことは、帝国の分裂の下地になった。【金印勅書】実は、帝国皇帝は選挙で選ばれてた。帝国の中心であるドイツの王が=皇帝だったので、各諸侯は候補をジャンジャン立てて争いまくり皇帝の出ない自体になった〈大空位時代)そこで皇帝選挙人を7人に絞り〈選帝侯)選挙のルールを決めた。【95カ条の論題】いわゆるマルティン・ルターの宗教改革。【俗界の王が】皇帝と教皇庁は事あるごとに対立、火花を散らした。帝国の弱体化の原因は、教会と皇帝を支配者に仰ぐという両輪を持ってしまった事かも。【見合いの席で】ブランデンブルグさん〈ギルの相方)の上司がパブったので・・相手はノイブルグ侯さん。ブラさん気の毒に・・・【俺が新教徒】カトリックの教皇庁を護るという名目で建国した帝国なので、諸侯がルターのプロテスタントに鞍替えしてしまうことは帝国の根幹を揺るがす大事件だった。【私オーストリアが】16世紀以降帝国はトルコさんの襲撃や新旧教徒入り乱れての宗教内戦に明け暮れた。そんな中できらり異彩を放ったのがオーストリアさんのハプスブルグ家だ。トルコ追い払ったり、スペインを領地にしたり、宗教内戦に付け込んできたフランス追い払ったり。そんな中でオーストリアは帝国最大勢力の選帝侯神ロくんの母体のザクセンさんを味方に付けることに成功。神ロと浸食共にすることとなる。
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2010-07-14 23:44
Comments (6)
mayumiさま、あ、なんか面白そうですねえ。完成された暁にはぜひ拝見したいです。
気長に待ちます。こちらもちょっと書いてみますか。ハンガリーの属国時代のあの人を・・・。それがどう神聖ローマと絡むか。
(続き)いたしました。カメの歩みの更新ですが、気長にお待ちいただければ幸いです。
mayumiさま・・コメントありがとうございますVV画面が小さいうえにごちゃごちゃして読みづらくてすみません。余談ですが、オットー大帝即位の頃は、東フランク王国はドイツ王国と呼ばれてたんですね。帝国初期の呼び方についてはどう呼んでいいものやらちょっと不安がありましたが、なんか安心
おお!ついに、来ましたね!続きが早く読みたいです!わくわく。
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