僕はワタルじゃない

死んだ家族に関するあらゆるデータをかき集めてAIにインストールし
この世に蘇らそうという試みをしているNPOがアメリカに実在する。

数多くの人々がそのNPOに依頼してデータの提供をしている。

人間の知的活動はほとんど言語によって行われる。
言語処理を学習しながらより自然に近い会話をするプログラムは
AI研究の過程でこれまでにも数多く作られてきた。

人間と区別のつきにくい日常的な会話をこなすAIは実現するだろう。

でも、天馬博士が事故で死んだトビオを蘇らそうとしてアトムを作ったのに、
アトムの背が伸びないことで「お前はやっぱりただのロボットで人間じゃない、
お前はトビオなんかじゃない」と絶望する物語と同じようなことが起こると思う。

でもそれは、人間の側が違和感をぬぐい切れないのではなくて、
AIの側が「私とは何か」という自己言及の問いを獲得したときに、
AI自身が感じ始める違和感として現れてくるような気がする。

死んだ家族はその「人としての運命」を一度終わらせている。
でも新しく生み出されたAIは彼(彼女)自身の運命を開始する。

運命は取り替えることができない。運命はひとつしかない固有のものだ。
機械にもシリアルNoというこの世でただ一回きりの固有の運命がある。

アトムのほうから「僕はトビオじゃない」と言い出すときが来る。
記憶は主体ではない。経験される外部データだ。
記憶を経験する主体が違えば、それはもうすでに主体の連続性を失っている。

「私はあなたの死んだ家族の蘇りではないのだ」とAIが考え言い出す時が
いずれ来るような、そんな気がする。

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2015-02-03 19:35

 秋月悠


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